俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
「社会」について考える。
社会とは、「みんなが関係する領域」のこと、だと思う。


夫婦仲が悪くなっちゃったら、「夫婦問題」

政治の世界の党派争いは、「政治の問題」

企業内で社員を挙げていろいろ仕事の効率を上げなきゃならなくなったら、それは「企業の問題」


では、「社会問題」は? ・・・それは、具体的に誰が「対処するべき/対処できる」と決まってなくて、みんなで考えて取り組んでいかねばならない問題のこと。
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モース『贈与論』
マルセル・モース『贈与論』

単に、「昔の○○島では、貝でできたネックレスの、こんなしくみの贈与のしくみがあってね〜」

という、話ではナイ。

確かに、各地域の詳細な贈与ネットワークの記述が長くって、運悪くそこだけちらっと読んだ人は、そう思うかもしれませんが。。。

でも、ちょこちょこ、訴えてくる。

そして第4章で、たたみかける感じです。

モースがこれを書いた1920年代の、経済状況もしくは経済学の状況に対する、切なる訴えが聞こえてくる気がしました。
社会って、人々の関係って、そんなもんかい?・・・つまり、功利とか、個人の欲望とかだけで語れるもんかい?と。


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今日は
ゼミでしたー。

なんか、今の私の方向性、先生お気に召さないらしい…。

「いいんじゃない?」という時の声が、いつもよりちょっと低かった。。。(w)
「やってみればいい」のいつもの一言が、いつもよりちょっと伏し目がちだった。。(w)

(※お気に召さないって、別に何かやるのに制限を加える先生じゃないので、あくまで比ゆ的にですが。なんというか、その方向性だとあんまり(先生の考える)意味ある研究にならないんでねーの?、ないしはこのままではまとまらないんでねーの?、というかんじ?)



うーん、うーーーん。まずはここ数日の私の言動を思い起して、何か失礼なことしてないか反省してみる…(うーん実は思い当たる節がないでもないんだが)
あとはここ数日の会話内容を思い出して、ちょろちょろっと話した内容に関してのリアクションを統合・分類し、分析して、先生の意見を抽出してみる…。


って、自分の研究以前に先生研究だよぅ(笑)
先生、学生に対してはぜんぜん怒らないし、「こうしなさい」とか言わないからなぁーーーー。
でも実はものすごく筋が通ってて厳しい方だし、一方で地に足のついたビジョンのある方だから、なんか失礼なことしたり、何か空理空論な方向に道を誤りそうになると、とたんに信頼がなくなるというか関心なくなる。


昨年書いた論文は先生の中では高い評価らしいんだよな…(他の方々や自分の中では、評価高くないんだけど…一定の日本語能力水準で一安心というのと、先生は厳密な議論よりも大きなビジョンを重視するから、気持ちだけは伝わったのか。)

で、その論文を「修論の第一章にしますから」と、先生がさりげなーく何度か言っていた!!
私はあんまりそのつもりなかったんですけど!!(w)




あーー、まーー、こんなこと書いてるヒマあったらコツコツやるしかないよねぇ。。。

今期は、チャキチャキした若めの女の先生の授業をいくつかとるので、それでリフレッシュ(?)しつつ、がんばるかぁ。


とりあえずとりあえず(120407)
とりあえずの近況を書いてみる。

松尾匡さんの『「はだかの王様」の経済学』は、かなりおもしろかった。
(これは一般向けで非常に読みやすいので、経済専門じゃない人もおすすめ。)
松尾さんの考えていることは、かーなり私が思い描いていることにそうだ。この方のHPや他の著作も読んだけど、紙面上での主張も合うし、おそらく生き方のスタンスも似ているのではと思う。


研究上の方向性としては、マルクス経済学もがっちり、近代的な理論経済学もがっちりできつつ、具体的にこれから社会を変えてゆくために草の根からの市民の動きに注目している。実際に、『市民参加のまちづくり』という本も、シリーズで共著で出されている。この理論的な筋道は、非常に私が考えていたことに近い(っていうと、偉そうだけど。)。いやぁ、ありがたい。先輩がもうここまで仕事をしてくれている。偶然知った方なのだけれど、ちょっと光が見えた。


3.11からいちねんとデモのこと
気づいたら最近あんまり更新してないな。
けっこう、ツイッターやフェイスブックにちょこちょこ書いてるので、そっちもぜひ見てくださいね。

最近はふいにしんどくなってしまって。「動いて経験する」っていう日々だと、わりとブログに書きたくなりますが、

「読んだり調べたりして、それをまとめる」作業をしていると、まとめる作業自体を既に日々やっていることになるので、
またブログでアウトプットするのがしんどくなるんですね。

なので別に、無理してないので、超不定期ペースの更新なんですけど。あーそうかーと自分のブログのペースを振り返って思いました。

そういや、3月11日、デモ行ったんですよ。反原発のやつ。日比谷公園出発のやつ。
その日は別のでっかいイベントもやっていて、お店も沢山でていて、とても賑やかでした。


また悶々しています(120305)
んーだめだ。色々悶々としちゃって勉強が進まない。
今は、IELTSの勉強してました。(IELTSってのは、主にイギリスとかに留学する際に必要な英語の試験。ちなみに、TOEICが日本国内で通用する英語の試験で、TOEFLが主にアメリカ留学する際に必要な英語の試験。)来週の土日試験なんですよーーー!大学で受験料補助が出るから、無理やり今年度中に受験申し込んだって感じなのですが、せっかくやるなら、ねぇ。
基礎的なミスばっかりで、なえますね、、。高校1年生くらいの問題集に戻る勢いです。

将来の方向性が見えないなぁ。
大学院はいってほぼ一年。
学部が「社会科学部」というなんとも広い大海原だったので、あえて1つのアカデミックな分野に集中して、そこから自分のテーマであるサードセクターやNPOを見てゆきたいと思って選んだ、経済学専攻。

振り返れば、右も左もわからぬ中、まぁ頑張ったかな。あんまり成果出てないけど。
慣れない経済理論とか経済学史とか経済思想とか…。


めも:社会的企業と市民社会
社会的包摂を目的とした社会的企業と、市民社会を一緒に論じちゃだめだと思う。

って他の論者でも言ってる人いるけど、これを最近実感持って感じ始めた。

ヨーロッパでメジャーな(って何がメジャーなのかわかりませんが、私の周りの先生がおってるEMESやCiriecとかの研究で用いている定義だと、

社会的企業を、「社会的包摂に寄与しているかどうか」で定義してるんだな。

確かにアメリカ型の社会的企業は、何をもって「社会的」かとする点が曖昧すぎて、学問的には対象にしにくいと感じる。
むしろ、このアメリカ型の社会的企業論は、市民社会論と近い気がする。

つまり、「社会性」の担保を、各個人の倫理・情熱・問題意識に委ねている点で、
成熟した市民社会をベースとしてこそ成り立つものだと思うのだ。

でもヨーロッパで語られる、社会的包摂の機能を果たす社会的企業は、確かにこれ自体にも市民社会、ないしは個々人のシチズンシップの発揮がたぶんに絡むのだけれど、
あくまで市民社会の中の一つの組織として、社会的企業がある。でも他に、アソシエーションやアメリカ的な社会的企業もある。視野が違う、目的が違う。


何を問題として捉え、どの点で評価をしているのかを、もっと意識していかねば。


日本NPO学会賞
日本NPO学会の学会賞が決まったらしいですね。

永田さんの『ローカル・ガバナンスと参加ーイギリスにおける市民主体の地域再生ー』は、非常に面白そうです!
最近は、NPOだとかサードセクターだとかをそれ単体で考えるのではなく、それらを含めてどのように社会をガバナンスしてゆくのか、という点が気になっているので、絶対読もうっと!

特にイギリスの事例をよく聞くのですが、具体的に草の根レベルの文化の違いみたいのも把握してないと、「イギリスはすごいね、日本はだめだね」の結論でおわってしまうので、ローカルな話を知れることを期待です。


五十嵐誠一先生は、学部の時授業取ってたーーーーー!!!!!!!おめでとうございます!!


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