俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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オリンピック・パレード
銀座のオリンピックのパレードすげぇなぁ(TVニュースで見た)
なんか、ここまで熱狂できるのって、いいよね。個人的にはオリンピック、あんまり関心なかったし、東京に招致されたら色々こまるって思っているけど、

でもこうやって、頑張りに頑張った選手の晴れやかな笑顔と、興奮してキラキラしている沢山の人の笑顔がみれるのは、やっぱいいね。


オリンピックは何の為にあるのか?
純粋に各競技で優劣を競うという意味から、国の力を示す為、経済効果、いろいろ、表には出ない理由もあろう。

だけど、人々の笑顔を、たーーーくさん増やすため、と位置付けたら、どうだろう。
いや、そう位置付けてほしい。


むしろそう位置付けて、
オリンピックの影で排除される貧しい人とか、きらびやかさの陰で打撃を受ける小商店とかに、きちんきちんと配慮して、

できるだけたくさんの人に配慮して巻き込んで、喜びを分かち合えるオリンピックだったらいいのになぁ。


こんだけオリンピックって歴史があるんなら、当然、オリンピックの「負の影響」についての研究も蓄積されてんでしょ?(なかったら、おかしい。)
良い面だけじゃなくてさ、こういうとこも直視して、もっともっといいオリンピックにして言ってもらえたらいいよね。


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生活保護(120525)
お笑い芸人、次長課長の河本さんの母親が生活保護を受けていた件から、


「どの範囲までの親族が、どこまで面倒をみないといけないのか?」が問題になっている。


現在の生活保護制度は、まず保護を申請したら、3等親まで(原則?)の親族に、「あなたの親族で生活保護申請をしている人がいるのだけれど、あなたが生活を支えることはできませんか?」といったお知らせがゆくことになっている。

これで、親族の誰も生活を支えられないということになれば、保護が開始されるということになっている。
(実際は、行政の水際作戦や情報不足で本当に困っている人が受けられないとか、逆に暴力団の人が半ば行政を脅して受給してしまうとか、色々あるらしい。)


今回の騒動を受けて、学習院大学の鈴木亘さんがテレビでコメントしていた。
「現在の生活保護は、相互扶助を前提としたシステム。そろそろ見直す時期。」

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「社会」について考える。
社会とは、「みんなが関係する領域」のこと、だと思う。


夫婦仲が悪くなっちゃったら、「夫婦問題」

政治の世界の党派争いは、「政治の問題」

企業内で社員を挙げていろいろ仕事の効率を上げなきゃならなくなったら、それは「企業の問題」


では、「社会問題」は? ・・・それは、具体的に誰が「対処するべき/対処できる」と決まってなくて、みんなで考えて取り組んでいかねばならない問題のこと。
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民謡のちから
こんにちは^^

なんだか、大学院の方もようやく何を自分が勉強してゆくべきか見えてきてむっちゃ忙しくなってきたところに、NPO関係の仕事もどびゃっと増えちゃって、あららぁって感じです。久々にNPOでインターンしてた時くらいの、NPO関係の仕事量です。(思えばあの頃は仕事効率めっちゃ悪かったなぁ・・)



さてさて先日(といってもだいぶ前)、津軽三味線のある会派の演奏会に行ってきました。


基本的には身内の人が集まる「発表会」のようなもので、NHKのど自慢的なアットホームなノリでしたが(苦笑)、まぁそれもまたよし、としました。


で、その当日パンフレットに書いてあった以下のような言葉が印象に残っています。

「民謡には、その土地で生きてきた人々の喜びや悲しみ、自然と暮らす中での様々な想いをあらわしています。」(文章はあいまいです)



そうなんですよね、きっと。
その土地で生きて、辛いことがあればその土地の人々と分け合って、生きてきた時代。
気持ちを分け合うには、「唄」というツールが、非常に有効であり、人々の心の内を代弁してくれていたのでしょうね。

今のように、スピリチュアル系の人がブームになって、その人の言葉が本やテレビで出回るようなこともないし(例えが変ですが)、ブログ等を通して苦しみを打ち明けて、運が良ければ同じような苦しみを抱えている一と繋がるなんてことはなかったのですから、

苦しみや悲しみから脱する糸口をどこで見出すかと言ったら、唄にして、声に出して、気持ちを落ち着かせて、他の人と分け合うしかなかったのかもしれません。


もちろん一方で、テレビやショッピングなど派手な娯楽がない中で、生活に潤いを与えるのは、また、たくさんの喜び、驚き、日常のちょっとしたことを織り込んだ「唄」だったのかもしれませんね。


特に今回のパンフでは、やはり、今回の震災の事が大きく意識されていましたね。
震災で多くのものを失ってしまった人たちに、私たちの唄と三味線を届けたい、というような。

パンフレットの文面自体は、なんだか押しつけがましくて好きじゃなかったのですが(苦笑、今こそ民謡を通して人々の心に豊かさを!というような…いやここまで気楽なノリではなかった気はしますが…なんだかね、言葉が一人歩きしている感覚でした。)


でも、あまりに多くのものを失ってしまった時に、丁寧に気持ちを織り込んだ「唄」、のみならず心を込めた音楽は、思った以上に我々に生きる力を与えてくれるのではないかなと、思います。


余談ですが民謡の持つ力に大いに共感するがゆえに、「民謡・三味線は日本古来の伝統であるから大切にするべきである」といった言説には反感を覚えます。古いからいい、という理屈はおかしい。古くからあるものは、人々に大切にされてきた何らかの意味がある、というのならわかる。そして残してゆくことの大切さを言うのなら「伝統があるから」ではなくて、「それがいかに人々の暮らしを育んできたのか」といった部分に焦点を当ててほしい。「伝統」という名にあぐらをかいて、丁寧に中身を伝える努力をしてこなかったり、やたらと高い値段でレッスン料をふっかけてきたり(個人的な想い(笑))する人がいるのだとすれば、ちょっとやめてよ…って思います。


※ただ古典芸能系の道具やレッスン料が高い(と感じる)のには、それなりに意味もある(あった)気もしますし、独特の構造があるのかもなぁという気もしています。三味線屋に行って十分な説明もないまま高い修理費を告げられるのは、実際問題その修理スキルがとんでもなく高度なものなのかもしれないし、その修理が非常に難しいものであるかもしれないのですが、我々はそれがわからない(おぉ、情報の非対称性だ!)がゆえに、「高く」感じているのか、実際に高くふっかけられているのかもしれません。
話は変わって昔々の時代、庶民の生活の苦しさの一方で特定の階層に富が集中していたのだとしても、そこで彼・彼女らが着物やらお茶道具やらなんらやにお金をつぎ込んだからこそ、今の日本文化もあるとも言えると思いますし。
たしかどっかで、京都の花街の経済を分析した本を見たなぁ…今度はちゃんと読んでみたいなぁ。。

うーんしかし振り返ると、私のやっていた長唄は基本江戸庶民の娯楽だから、エンターテイメント要素が強かったですよね。もちろん江戸以前の様々な芸能を組み合わせて作ったものだから、いいとこどりでエンターテイメント性もあればしっとり感動モノもあるんですけどね。
でも民謡もやってみたいなぁ。より、人々が生きてきた土着の感覚に、寄り添うことができそう。


「しごと」と呼びたい仕事
ブログの更新の方はお久しぶりです。
まだまだ、あと一週間はバタバタしてます。自分の力のなさを実感中です。。

ところで、最近ぼや~っとずっと考えていたこと。
今やっているバイト(山谷のある施設での、夜勤のアルバイト)なんですが、
自分の中で、どうも「バイト」じゃなくて「しごと」と呼ぶ方がしっくりくるようになったことに、気づきました。


週に1回だし(といっても夕方~朝までだから、滞在時間は仮眠入れて11時間なんだけど笑)、
本当に、自分のプライベートな時間と必死に両立させながら働いていらっしゃる常勤の職員の方に比べたら、全然自分の時間の中での割合としては「ちょっと手伝っている」程度なんだけれど、

でもしっかり、自分の「しごと」という気がしている。

今までのバイトは、もっと働いていてもあくまで「バイト」だったのに。



なんでかなと考えて、今の仕事は、自分の頭で考えて、自分なりに対応することが求められているからだと気がついた。

そして最近になって、「しごと」たる感覚がでてきたのは、自分なりにその仕事に対する「向き合い方」ができたからかなと。

今までのバイトは、求められている仕事に対して、求められている分量だけ自分の力を調整して出していたけれど、

今は、自分なりのやり方で工夫している。

もちろん、勤務時間中ずーーーっと全力だと疲れちゃうから、ときどき「ふぅ」って一息つく時間も、含めて。


特に対人のお仕事で、介護ヘルパーのようにメニューが決められているわけではなく、食事の用意など最低限のことをこなしたらあとは、「自分なり」に利用者さんと接してあったかい時間を過ごしてもらうことが、私のしごと。


「引継ぎができない仕事は仕事じゃない」って、誰かが言っていた。確かに組織としてサービスを提供し続けるために、それは言えている。

でもそれだけじゃ、足りないと思う。まず最も大切な目的をきちんと定めて、あとある程度のコツをシェアして、そのあと自分なりに工夫できたら、やっと自分の「しごと」になる気がする。



・・・うーん、研究の方も、早く「しごと」って思えるくらいになりたいな。自信を持って、自分なりに研究した成果を、人に伝えられるように。




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