俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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やば
雷こわすぎて、なんも手につかん。


あとびっくりすることがあって。


♪♪
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まずは景気対策といいますが
景気の回復!!

雇用創出!!!


とおっしゃいますが。


どんな形で雇用を創出するつもりなのかよくわかんない。



今までのような、大量生産大量消費の時代はとっくに過ぎた。




今までの企業(等)の景気をよくして、雇用を増やしたところで、

そもそもその企業のやっている事が時代遅れだったら、またすぐにつぶれる。




これから、どんな分野に雇用をつくってゆくのか。

・・・という問題は、単に頭数をそろえて雇用を吸収するにはどうしたらって問題でなく、

社会のグランドデザインを描いていかないと見えてこない。



具体的に私は、これからは「ケアの時代」だと思っている。



っていうといいこと言ってそうで実は中身がしっかりしてない気もするが。


とにかく、効率性重視・競争競争の仕事じゃなくて、人間相手に、関係性を築きながらやっていく働きかたのニーズが絶対増えるし、実際そういった働き方を望んでいる人が増えているのでは?



具体的に私の身近には、「プログラム・オフィサー」という仕事をしている人たちがいる。


プログラムオフィサーってのは、資金をどの団体や事業に流入されるか決めたり、実際に資金を投入した団体とともに事業を考えていったりする仕事、かな、たぶん。


私のインターン先は、企業や財団を協力して、市民活動団体への助成金プログラムを実施してるので、

そういった事業を展開するスタッフは=プログラムオフィサーだ。



プログラムオフィサーの方々の働く姿を見ていると、単に「資金分配係」ではないことがすぐにわかる。


助成先の団体さんでも、協働している企業さんでも、電話の会話一つ一つに気遣いが込められていて、

でも言うべきことはきっちり言って。


特に、対団体の対応は絶妙。
資金を分配して終わり、じゃなくて、その団体を育ててゆくのも仕事なので、

ちょっと所用で電話した折にも、「最近どうですか~?」と聞いてみたり、励ましてみたり。


団体さんにしてみたら、そうやって外部の人に気にかけてもらっているというだけでやる気がでるだろうし、励まされないとつぶれちゃいそうになる時もあるだろう。



また、資金を分配する際には、時代の先を見通して助成するという目が求められる。

これからの時代に何が必要なのか、を、(私のインターン先の場合は)市民目線で考えて、応援してゆく。



市民の問題は、常に市民感覚でいたり、人とふれあっていないとわからないもの。



人と人とのふれあいの中から問題を察知したり、沢山の人々(カッコよくいうとステークホルダー)ときちんと信頼関係をきづきながら仕事を行ってゆく。




冒頭に言った「ケア」というと、福祉系の仕事を想い浮かべるかもしれないが(福祉系の仕事ももちろん大切!だが)、

もうちょっと広くみて、人とつきあって信頼関係を築きながらやれるスタイルの仕事が、今後メインになってくるだろうと思う。メインになってきてほしい。既存の働き方もそっちにシフトしてほしい。


居心地のよいところからは抜け出したくなるめんどくさい事態
居心地のよいところからは抜け出したくなる。


や、居心地がよいところにいるととたんにその外の世界が気になって、そこを抜け出さないといけないような気がしてきちゃう。



以上!

*******************

これでいいのか?
この社会が人間が目指してきたものだったのか?



私の願いは。



*******************





以上!と書いた割には具体例ですが、

居心地がよくって抜け出したくなっているものその1。長唄。



長唄はやり始めるととまらなくって、もっとこうしたい、こうしたらもっとうまく聞こえるんじゃないかと、果てしない試行錯誤が続く。




長唄に限らず、前にやってたダンスでも中学時代の演劇でも、私は凝り性なんだなぁ。
とりわけ人に見せるものについては。

見せて、ほめられたいんだな。
あと、人の喜ぶ顔を見ていないと、不安なんだな。
基本自分に自信ない人なんで(ワラ



ともかく今は、長唄。やり始めるととまらなくなるのが困る。
アタマの中をずっとぐるぐるまわってる。



しかし、長唄の世界に閉じこもる気はないし、(っていうか閉じこもってたら食っていけないけど)
今は、自分の道を描いて踏み出したいんだ。


だから、長唄はほどほどに。

最小限、人に迷惑のかからない程度に練習しておいてお稽古をこなし、

演奏会近くなったら、そこはやっぱりせっかく来てくださる人にはきちんとしたものを見せたいという想いがあるので、
2週間くらいで集中的に仕上げる。
2週間くらいは長唄がアタマをぐるぐるしてても多少あきらめる。


・・・ってのが最近のぱたーん。


あーーー先生ごめんなさい。ほんとに申し訳ない。
ラスト2週間の私の勢いに巻き込まれざるを得ない後輩達にも、すんません。






居心地がよくって抜け出したくなるものその2、長研。

って長唄シリーズじゃんって思うけど、こっちは長唄じゃなくってサークルという集団ってことね。


まったく長研は、どうしてか平和な空気が漂っていて、居心地がよい。
きちんと1人1人を認め、排除しない雰囲気は、すばらしいと思う。



しかしずっとここにいたらいけない。

他のみんなはもっとちゃんと切り替えて、うまくやっているのかもしれないけれど、
私はなかなか。

私の今やっていることは、強制力がない。
自分で選び取って、やっていること。
なので、授業のように「レポート書かなきゃ!」みたく強制的にアタマを切り替えることができない。
(その授業をとるとか、そもそも大学に進学するということも、自分が選び取った道に違いないけれど、どれほど真剣に選んだ道だろうか?暗黙のレールにのってここまで来てしまった気がする。)


強制力がないので、テキトーにやっても、ある程度、許される。
やめようと思えばやめられる。


すべては自分しだい。

教科書はない。


なかなか力の配分が難しい。



余談だが、今の長研、
一見居心地はいいが、心のうちまでさらけ出した居心地のよさというわけではないと思う。

もっとそれぞれ、外に出て感じたことを言い合えたら、もっと面白い集団になるのに。

このところ、みんなで飲みにいったりご飯にいく機会がとんと減ったからかな。



いや、私が避けていたのもある。

だって行っても、なんだか表面的なふわふわとした会話なような気がして、つまんなくって。

私がそう感じていただけで、私があまり行かなくなってからは表面を通り越した会話が繰り広げられていたのかもしれないけどね。



あ、別に小難しい話がしたいわけじゃない。


でももう少し、内面を出し合えたら、もっといいような気がする。
恋愛の話でもいいし、サークルでやりにくいことがあるってのでもいいし、

「アナタが何を考えているか」がお互いにわかると、もっとつながりが強まる気がする。



大げさかしらね。




**********************


さーーーーて。


とりあえず定演おわったので、勉強勉強!


来週のインターン修了報告会に向け、やること盛りだくさん。


あー大丈夫かな?







いろいろ
最近全然更新してないけど、それでもブログをのぞいてくれている方、ありがとう!!!!!!!

なんとなく更新する余裕がなくって~すんません。
ワタシは元気です。あ、でもちょっとドライアイと肩こりがひどい(笑


えっと、とりあえず明日(6月26日。)はサークル(長唄)の演奏会です!!
我ながら、最後の2週間は自分の練習+後輩指導と頑張った(笑←総合的には大したことないんだけれどすべてをこの2週間につぎ込むエネルギーに我ながら。。。すごいんだか、もっとはやくやってりゃよかったと思うんだか。)

供奴の唄と、越後獅子の三味線です。

唄、やっぱりすきだなと思った!
越後はやっぱ三味線かっこいい!!!!ずっと憧れていた替え手を弾きます。
練習不足で本手との息が十分に合わず、悔しい。。。もっと練習してればよかったな。。。
でもギリギリまでがんばったし、ちゃんと練習通りにできたらいいな。。。



こうやって好きな長唄だけれど、「社会をよくするためには~?」とか考えちゃって、その為に長唄やってる暇がないと判断したら、長唄もきってしまう性格なこのアタシ。

色々考えて、移り変わって、

行動力はあるけれど、

どっしり構えて一つのことに取り組んだ人にはやっぱり劣る、、部分も大。



まぁ、とりあえず今はいいや。






あと、来週7月4日は、インターンの修了報告会です。

そう、1年間のインターンが終わるのです。


全然終わる気がしない。

ってか報告会運営も仕事のうちだから全然気が抜けない。(当日の懇親会も幹事だし笑)



あーさびしいなぁ。



ラストスパートがんばろ。



って言ってる時に、大学院で受験する先の先生から「研究計画書はやく書け」って催促。

うわーぜんぜんかけてねえよ。


ほんとにアタシ、大学院受験する気あんのかな?(苦笑




若干漂流気味だけれど、とりあえず私には衣食住あるし家族というつながりあるから、のほほんとする時間を持てるわけです。



私に関わりのあるすべての人が大好きで、
すべての人にきちんと接したい想いが強いんだけれど、

そうするとすぐに自分が疲れてしまう。

いやだからどうってことないんだけれど、
ジブってそうなんだなぁと再認識してみた。


ビル・ドレイトン
先日、アショカ財団のビル・ドレイトン氏のお話を聞く機会があった。

まったく行く気なかったけど、知人に強く薦められたんで、大阪から夜行で帰ってきたばかりの体をおしていった。


行ってよかった。私は、ドレイトン氏のすすめる社会起業家や、チェンジメーカーの定義を完全に誤解していた。


なんのことはない、チェンジメーカーとは、市民社会人に他ならない。

ドレイトン氏は、市民社会人たる一つのあり方として、社会起業家を提示しているにすぎなかった。



しかし、だとしたら、多くの日本人(のみならず、世界の現代っ子?)は、チェンジメーカー=ビジネス的手法で社会を変えようとする人たちと、誤解していないか?


私が常日頃尊敬している、NPOスタッフや日本にNPOを根付かせてきた人たちも、ドレイトン氏の言葉で言えばチェンジメーカーである。


チェンジメーカーという言葉を、そのまま日本に輸入してしまった渡邊奈々さんの影響が強いのかもしれない。(渡邊さんの『チェンジメーカー』は、なんとなくキライでちゃんと読んでないからなんともいえないが。これからちゃんと読んでみようと思う。)



社会起業家を目指してます、って言葉がなんとなくフワフワ聞こえてしまう時があるのは、日本の姿を正確にとらえきれない外国からの借り物の言葉が闊歩しているからだろう。



もしまだ誰も書いてないなら、『日本版チェンジメーカー』を書いてみたいものだ。




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