俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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政治の動きのせいで毎日がますますストレスフル
にゃあ!


すっごい調子悪い!精神的に!


おもろないな~この勉強。大学院の、試験勉強。なんか行く気なくなってきたぞ、、


大学生で時間あるのに、やりたいことに気持ち良く挑戦できないもどかしさ。


一方で、じっくり腰を据えて色々考えたり、なによりじっくり生きる喜びを感じている今日この頃でもある。




にゃぁ~!しかし日々ニュースをみてても、にゃあ!!って感じですよ!


円高だぁ政府がなんも対策しないだぁ!

小沢か管かぁ!

円高はチャンスかぁ?!海外進出しちゃえばこっちのもんかぁ?

日本の中小企業や今後の雇用はどうなるかぁ?

老人ホーム入れなくて困ってるじいちゃんばあちゃんがあふれてるだぁ?若年就職率が低いだぁ?

農村再生うまくいってるとかいってないとかぁ?




はぁぁよくわかんない。


自分の意見としても何をどうしたらいいのか、政府の人はどうしようと思ってるのか、わかんない・・・


小沢か管かは、まじでわかんない。世論調査の調査項目程度の意見しか持てない。まぁ私には投票権ないけど・・・。

とどのつまりどっちも不安・・・。

できれば管さんに継続してほしい…また変わるのもねぇ…でもこのまま指導力のない感じでいって、ますます傷口を広げることになってもどうしようもないか…


小沢さんが出馬したのは私の感情から言えば「は?」ってかんじだったけど、なんだかんだやっぱ実力があるのかな…政界での実力ってどういうことなのかよくわからないけど…

いっそ小沢さんに一度やらせたらどうなるのか見てみたいきもする。


ってかどちらかといえば、鳩山さんのが私は好きだったかも。「新しい公共」認識してたし。


管さんの経済政策は、どうやったら言っていることが成り立つのかよくわかんない…


私もまったく勉強しておらず印象論で、申し訳ない。。もっと勉強したいなぁ。。

でも不勉強でもなんとなく政府がやろうとしている事が見えるように、マスコミとかも報道してほしいよなぁ。

毎日政界内の泥沼の報道ばっかりで、政治系のニュース、新聞を見るのがほんとにツライっす。正直ホント。



話は変わるけど、経済対策に関する議論で気になること。

景気対策の話ばっかりに偏っている気がしてならんなぁ。


確かに、円高で大きな影響を受けて、厳しくなってる企業もあるんだろう(社会に出て直接厳しさを感じてないから想像するだけ・・・)

一番打撃が大きいのは中小企業だろう。

そこらへんの景気対策は絶対しなくちゃならん。



でも経済「だけ」をよくしたって、人々の生活はよくならん。


(今の経済の依存した生活スタイルでは、まず経済がうまくいっていてくれないと生活が成り立たない!んだけれど。)




経済は、人々の生活とか社会とか文化とか、いろんな要素を背景にして成り立つもの。

○億円の財政政策で○○の効果が表れると計算上は算出できても、実際その数字がどの程度意味あるかは・・・



早急にやらねばならない経済政策もある。

(それをどこまでやるべきか、が私にはよくわかんないけど・・・)


一方で、とりあえずの政策とともに、日本の基盤をきちんと整えるような政策もとっていかねばならない。


子どもの創造力を育むような教育にするとかね、人々のつながりを回復させるだとかね、もっとコミュニティ間での助け合いがあるような日本にするとかね。。。


そういう日本の素地がきちんとしてこそ、経済政策も生きてくる。


もちろん経済政策がきちんとしてないと、上記のような日本の素地を整える動きも出にくい面もあるのかもしれんけど、とにかく複合的に物事考えなくちゃならん。


全部を政府がやる必要はなくって、政府ができないんなら代わりにできそうなところを支援するとか。。



もっと柔軟に。



経済政策経済政策って言って、霞が関にこもって、たまに国民の声を聞くとか行っても特定のグループの人だけに話を聞いてたら、

国民の生の実感から、今どんなものがあったらいいのか見えてこないよなぁ。


こんな世の中でも、市民は力づよく、今ある制度の中で今できることを頑張ってるんだけどなぁ。見えてるかなぁ?




こんなことを考えていると、特定のテーマに対して手短に答えを出せるように、自分の考えをまとめることは難しいのです。


ずべてのものごとはつながっているのです。



はぁもう。


なんだかぱっとしないわぁ自分。



そういえばこないだ長唄の合宿で、2泊3日だけ参加してきただけど、


久しぶりの異文化すぎて疲れたーーーーーーー。



うん、異文化だった、うん。サークルが。


長唄自体も練習できておらんかったし、久しぶりにまじめに唄をやろうとしたら声がでなくって大変さぁ。


鍛えなくちゃなぁ。(ってことで今日一人カラオケ行って普通の曲を流しながら長唄を唄ってきた笑)



・・・・
今やりたいこと。

「NPO法人 ふるさとの会」にもっと関わる。


こないだ見学に行った・・・ってブログに書いたっけ?


事業の進め方、発想にどえらい衝撃を受けたので、もっともっとふるさとの会の発想力を吸収したいのです。

山谷、若干遠いけど・・・



といいつつも、

院試が10月まで続く見込みなので、まだまだ落ち着かん。

はぁ~あ、もったいないなぁ。


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らしくない感じのブログ
本ブログのタイトルのとおり

「俗なことは嫌い」と俗っぽく思っている私ですが、

現在あまりにも俗っぽく、俳優の向井理さんが好きです。


私は普段テレビみないんで、向井さんを認識したのは今やってる「ゲゲゲの女房」からですね。
のだめでも出てたって知りませんでした。


ゲゲゲは、おもしろいです。結構みてます(笑)
で、村井茂役である向井さんの不思議な雰囲気が気になって色々ネットとか雑誌とかでみたりしちゃいました。

気取ってないけど「オレはオレ」っていう雰囲気と、頭の良さがちらちら感じられるところが、素敵です。






・・・・ってわざわざこんなことをブログに書いたのは!

私の前回の記事に書いた、「終戦『記念日』」って言葉が気になる!っていうのと同じようなことを!

向井さんもブログに書いててちょっと興奮したからなんです!えへへ。

コレ↓
http://ameblo.jp/osamu-labo/entry-10620733410.html



って、私よりも考え深いですがね~。

戦争ものの作品にも何度か出演していらっしゃるようなので、考えさせられることも多かったんでしょう。




私は前回の記事では書かなかったけど、戦争は形式上終わったといっても人々の間ではまだまだ続いているってのはホントそうですねきっと。。。

8月15日以降も戦いが続いていたってのは知らなかった。



しっかし向井さんの、一個一個着実に仕事に取り組んでいらっしゃる様子には、とっても勇気づけられます。

もちろん純粋にかっこよくてテレビとかに出てるとテンションあがるので元気出さしてもらってます(笑)

(今日は特に、色々〆切迫っているものがあるのにどうしても体調が変で集中できなくって沈んでた時にテレビで見たんで、元気もらいました。)



う~~んこれだけ人気になっちゃった人と直接話すには、私も有名にならなくきゃいけないかな~~~頑張らなきゃ~~(動機不純!!!笑)



・・・・あ、でも
私が大学の志望校決めたのは、大好きだった先生が早稲田出身だったからだし、
最近はすっごい憧れている研究者の方がいて、その方のことを知りたいあまりその方の論文片っ端からよんで、結果的にめっちゃ勉強になったし、



動機なんて、不純な方が人生おもしろいねん!


(…だから?って感じの最後でごめんなさい)






終戦記念日
昨日8月15日は、終戦記念日でしたね。

ところで終戦記念日って「記念」って言うくらいだからめでたいのかな?


まぁ、厳しい厳しい戦争がやっと終わったんだからめでたいのかもしれないけど・・・全然めでたい気はしないな。


その日に至るまでに何人の人が亡くなったことか。
その事実は消えやしない。


そもそも開戦したことが間違いだったんだ。



試しに「記念」という言葉を辞書でひいてみた。
【記念】後々の思い出に残しておくこと。また、そのもの。(広辞苑)

…うーん思い出か。なんか軽いなぁ。もっと、心に刻むべき日~みたいな意味のあるコトバはないのかしらね。
いっそ「1945終戦日」とか、ダイレクトなのにするとか。
アメリカでは9.11はなんて表現してるんだろう。




昨日家の近くの交番には、日の丸の旗が掲げてあった。


私はなんとなく、気持ち悪かった。


勉強不足で、あまり詳しくはないけれど、日の丸にこめられる意味には様々なものがあるんだよね。
だから、ブログという場で発言するにはちょっとはばかられる内容なんだけれど・・・私の素直な印象として。


昨日の日の丸には、どんな意味があったんだろう。

お国のために亡くなった、たくさんの方々を追悼するっていう意味?

確かに、亡くなった方々には、心の底から祈りをささげたい。



でも私はやっぱり、日の丸を見ると、国民全体が「お国の為に」と突っ走っていた戦時中の様子を考えてしまう。

その当時の象徴たる日の丸を、よりにもよってこの日に見るのは、なんとなく気持ち悪い・・・っていうのが私の感想。


というかそもそも普段から、日の丸ってあんまり好きじゃないんだ。


日常ではほとんどお目にかからないのに、学校の卒業式とかで突如として壇上に現れる、あれ。


普段は対して意識しない「日本国」を、嫌がおうにも感じさせる。どんよりしちゃってたな。


たまに日の丸を見るときといったら、オリンピック。
選手たちが一生懸命に自分の力を出す姿には感動するけれど、日の丸のユニフォームを着て「身が引き締まります」みたいなコメントを言っている様子は、私はどうしても目をそらしてしまう。

もちろん選手たちは、「日本っちゅー1つのでっかい国の代表」として、いろんな人の涙の上にいろんな人の支え
を持ってオリンピックに出場するってんだから、感無量になるのは当然かもしれん。


しかしなぁ・・・私はどうも、日の丸は純粋に今の日本を表しているだけじゃなくって、過去の日本もひっくるめて、すべての象徴だと感じているから。


そんな重いもん背負ってたら、早く走れるもんも走れなくなってしまうわ。私だったら。


=================-

終戦の日(と呼ぶことにした)特集でやってた、

池上彰さんが戦争を解説してるテレビ番組を見た。



その中では、日本が傀儡政権を打ち立てて事実上占領した満州のこととか、
最近の内戦ということでボスニア・ヘルツェゴビナのこともやっていた。



旧満州国、今ではニュースなどで中国東北部と呼ばれるところに、実際にアナウンサーが行って取材をする様子が映し出されていた。


満州国設立までの流れをざっくり説明すると、

日露戦争の講和条約(ポーツマス条約、1905年)でロシアからもらった、東清鉄道の一部を利用して、

1906年に設立された南満州鉄道株式会社(通称、満鉄)。

ここを守るために、関東省に置かれたのが日本の「関東軍」


その関東軍がやらかしたといわれている、1928年の張作霖爆殺事件、1931年の柳条湖事件(満州事変)を経て、


日本は満州国設立を宣言する。


世界の国々から反対されたら、逆ギレして国連脱退する始末。



テレビでやっていた、旧満州国は、かなりきれいだった。
メインストリートなんだろうけど、ほんと渋谷みたいなところもあった。


様々な建物が、日本風だった。
駅は東京駅そっくり。国会議事堂にそっくりな建物もあった。日本のお城みたいなのもあった。

全部、占領時代につくったものがそのまま利用されているらしい。


アナウンサーが言っていた「無理やりにでも日本色に染めようとしていた様子が怖い」には、共感。



張作霖爆殺事件の現場になった鉄道跡は、なんとそのまま残されていた。

近くに、大きいモニュメント。


ほんとにでっかかった。



事件が起きた日が、はっきりと刻まれていた。

中国人男性はコメントで、「中国人はこの日を絶対に忘れることはできない。父や祖父から当時のことを言い聞かせられている。」と述べた。



ついつい終戦の日には、被害国としての日本にしか目を向けないが、日本は加害国でもあるのだ。


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ところで過去のことを忘れないためのツールとしては、


モニュメント・慰霊碑ってのも重要なんだなぁと思った。


旧満州国のでっかいモニュメントと、それを見ながら語る中国人男性を見て。



モニュメントとかって、正直あまり意識したことなかった。

慰霊碑に亡くなった方の名が刻まれていたら、悲しくはなったけれど、
特に人の名前も何もないようなものは、「ふーんここで何かが起きたんだ」くらいのきもちだったかも。


だって、なんだか汚らしくなってたし。


大事なのは、そのモニュメントに込められた人々の想い。


モニュメントだけあってもダメ。
人々の気持ちがついてこないと。


でも人の気持ちさえあれば、モニュメントは出来事を忘れないための格好のツールになるんだね。

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また、ボスニア・ヘルツェゴビナの方。

こっちは、池上彰さんと女優の長谷川京子さんが現地に赴いていた。

一見きれいな街並み。

でもいたるところに銃弾の跡。

上から爆弾が降ってきて人がなくなったところには、爆弾による道路の跡はそのままにして、血を表すものとしてその跡を赤く塗り、残しているそうだ。



ボスニア・ヘルルツェゴビナの内戦は、1992年から1995年まで続いた。

すげー最近じゃんね。

ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルルツェゴビナは、カリスマ指導者のチトーがいる間はなんとか一つにまとまっていたんだけれど、チトーがなくなってからばらばらになっていったらしい。


もともと、色々な人種・言語・宗教を持つ人々の寄せ集めで成り立っていた国家。


ウィキペディアから引用しちゃうと、

『1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。それを契機に、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を求めるボシュニャク人・クロアチア人と、独立に反対するセルビア人との間で対立が深まり、』


・・・内戦へと向かって行ったみたいだ。



強く印象に残ったのは、
内戦で夫や子供を亡くしたお母さんたちのコメント。

ある人は、未だに亡くなった息子の写真を見れないのだという。
たった12歳で亡くなった子。
取材班には、写真を裏返しにして、自分には見えないようにして差し出してくれていた。



長谷川京子さんからの質問
「そんなにつらい想いをして、今生きてゆける、希望のようなものはあるんですか?」


きっと、つらい中にも希望を見出して生きているんだという答えを、誰もが期待しただろう。


しかし、お母さんたちの返答は違った。



「希望なんかない。」
「死ねないから生きているだけ。」
「息子の無念を消さないために、死ねないだけ。」





……衝撃の言葉だった。

どんなに悲しいことがあっても、人は立ち直って生きてゆけると思っていた。

戦争・内戦が終わっても悲しみは続くというのはこういうことだったのか。


本当に大事なものを突如として奪われた人々。


なんて取り返しのつかない出来事だったのだろうと思う。


戦争・内戦が、形式上終わると、町も外見上は復興する。
(むしろ激しい戦いでめちゃくちゃになった分、復興すると建物がきれいになって、きれいな街になるらしい。)

ニュースでも取り上げられなくって、忘れ去られる。


そしてそのうち、戦争を知らない世代が人口の大半になると、また戦争がはじまるんだろう。



むなしい話だ。





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戦争を繰り返さない為にはどうしたらよいのか。


よく、「戦争の悲惨さを伝えなくちゃいけない」という。


それはもちろんそうだ。
小学生の頃、マンガの「はだしのゲン」で見た、原爆投下後の人々の様子のおぞましさは、目に焼き付いている。

建物から吹き飛んできたガラスが、体中に刺さって、

熱で皮膚がただれて、裸なのにひらひらの服を着ているみたいで。腕の皮膚が地面につかないように幽霊みたいに腕を上げながらあるく。


また、「原爆の絵」で有名な、丸木位里・俊夫妻の「丸木美術館」にも行ったことがある。

率直に、もう、おどろおどろしくって気持ち悪かった。

赤ちゃんを抱えながら火にのまれてゆくお母さんの様子とか、見ていて苦しかった。


こういった、想像を絶する戦争のおぞましさは、伝えて行かねばならない。








しかし、それだけではダメだと、私は思っている。


戦争で怖いのは、外見上のおぞましさよりも、家族や親しい人が奪われてしまうということではなかろうか。



その悲しみこそ、伝えていかねばならないと思う。




しかしそもそも、現代人は、家族や親しい人を奪われる悲しみを、理解できるのだろうか?


親が子供を殺し、子どもが親を殺す時代。



家族のぬくもりとかまどろっこしいものを捨てて、簡単に手にはいる「モノ」で心を満たしていないだろうか?


戦争ゲームや凶悪な殺人事件が身近な時代。
現実の政界では生きる目的を見出せず、そういったものにあこがれを抱いて、むしろ「戦争やってみたい」という感覚の人すらいるんじゃないだろうか。




今って、もしかして、すっごい危ない時代かもしれない。




「平和」が当たり前の感覚の中で、



人の心を置き去りにした物質的な豊かさがはびこっている。




今、日本が戦争をするとして、本気で反対してくれる人はどれだけいろだろうか。








…私だって、家族の大切さとか、人とのつながりのあたたかさとか、知ったのは最近だったように思う。

今まではのんのんと生きていて、家に帰ったらお母さんがご飯をつくってくれているのは当然で、お父さんが稼いできたお金からちょっとばかりお小遣いをもらうのは当然という感覚。


そんな私も、様々な人に出会ったり、恋人と付き合うってことも経験して、ちょっとだけ大人になって、両親の苦労やありがたみ、そばにいてくれる人の大切さを感じれるようになった。



大切なことを学べた私は幸運である。



今だからこそ、昔以上に、戦争の悲しみを理解できた、気がする。



======================


まずは、人の心を平和にすること。


教育も、本気で見直さなきゃいけないとおもう。

テストで点をとる勉強だけじゃなくって、人の心を豊かにする教育を。



もしくは人々が、親子が、心にゆとりをもって接することができるような環境を。社会を。



持続的に、作っていかねばならない。





ずっと平和でいるって、どんなに大変なことなんだろう。




ある、一人暮らしの先輩が言っていた言葉を思い出す。

「一人暮らしになって、生活の現状維持がこんなに大変なのかと気付いた。毎日洗濯して掃除して…」


私の部屋も、ちょっと掃除を怠ると、すぐにほこりだらけ。




平和な社会だってそうだろう。


ちょっと、戦争の事実を伝えることを怠ったり、

人々の心の豊かさを意識しない時代になったら、



すぐ平和なんてくずれちゃうよ。









夏休み
やばい。



夏休み満喫中です。




院試の勉強があるから~~と、あんまり予定を入れなかったこの夏休み。



ああああ。なんて落ち着いた毎日!



生活してるなぁってかんじ!!!!



ゆっくり本が読める!すばらしい!
いままで、「あれやらなきゃこれやらなきゃ!」と常に頭のどこかで考えながらの読書は、やっぱりきちんと身に沁みこんでいなかったようで。




ゆっくり本なんか読みながら考える時間ができたから、


また大学院進学先に悩みはじめたよ(苦笑)



この点では、少々心落ちつかない・・・けど、「結局なるようにしかならない」し、「どの道なんとかなる」ってことをこの1年くらいで学んだ私は、

受験勉強大好きだった高校3年生時代とは一味ちがうのよ~♪(←別に威張ることじゃない)




まぁそもそも、現在受験する気でいるところも、


なんとなく腑に落ちない部分もありながらも、日々の雑務に追われる中で、苦しい思いして毎日悩んで悩んで、


もう悩むのが嫌になったからえいやって決めたんだ。



決めた後も、なんとなく納得できないような気持ちを抱えながらも、押し隠してきた。




はてはて。


どうなることやら。





どの道に進んでも、与えられた環境の中でベストを尽くして、私は自分で道を切り開ける、、と思っている。




心配なのは、とにもかくにもお金とか生活のことですね~~~



実家暮らしなので、日々の生活にどれくらいお金がかかるのかとかよくわかってなくって、無駄に不安になってる部分もあるかもだけど。



大学院出てからの仕事のこともあるしなぁ。



「仕事はあるところにはある」ってのが持論(っていうか事実)だから、



就職できるか不安・・・ってことはあんまりないけれど




生活と、自分の進みたい道が、できるだけ両立or一致している形が、うれしいなぁ。




あと親のことも考えるとねぇ。。




両親とも、今はまぁまぁ元気だけど、



最近ね、後姿とかふっとみると、不安になることがある。




みんなで幸せになりたいねぇ。




フィランソロキャピタリズム
最近の気になるワード。

「フィランソロキャピタリズム」


なんでも、企業が利益の追求だけするんじゃなくって、もっと社会にいいことしましょうよ!
でも今までのように寄付して終わりじゃなくって、ビジネス手法を取り入れて社会課題の解決をしましょうよ!
効果測定なんかも、ビジネス手法をどんどん取り入れてみましょうよ!


っていうながれを、「フィランソロフィー」と「キャピタリズム」の造語で表したらしい。


参考。
http://www.csonj.org/publication/global/001.html



フィランソロキャピタリズムの流れ、確実にありますが、
上記のCSOネットワークHP中の

「 「金にモノを言わせて」悪いことをしようというのではないからいいではないか、とは単純には割り切れない。 スーパーリッチが、独自の価値観と達成志向をもって、政府や国際機関と同等の力をもちつつグローバルな課題に取り組むのを、私たちは諸手をあげて歓迎すべきなのだろうか。 」


にまことに共感。





今までも、アメリカとかの大金持ちが、自分の財産を「途上国のエイズ対策に!」とか「恵まれない子供教育支援に!」とか一定の目的に沿った形でつかったり、その目的に沿った財団を設立するなどしてきましたが、


なんとなく違和感があった。



その人の認識した問題以外の社会課題はどーするんじゃ?っていう違和感。




お金持ちが何か社会貢献に目覚めて、そういう方向にお金を使ってくれるのはとっても嬉しいんだけれど、、


たまたまそのお金持ちの視野に入った問題「だけ」にしか支援の手が行かないってことになる。




しかも、「フィランソロキャピタリズム」の流れを形成する「スーパーリッチ」ってのは、従来の資本主義社会で勝ち抜いてきた人たち。

その人たちの価値観で気になったところを、その人たちのやり方でなんとかしちゃおうってもの。

・・・こわっ!金持ちがますます世界を凌駕するってこと?!




それだったら、社会課題の解決の為の資金投入は、社会課題解決のプロに任せた方がいいと思うんだよな。

つまり、どうせお金があるなら助成財団をつくって、世の中の社会課題を熟知したプロ(=プログラムオフィサー)が中心となってその資金を使う。





もちろんすべてを「プロ任せ」にするんじゃなくって、一人ひとりが社会課題に敏感になって、なんか「これは問題だ!」ってことを感じたらその都度声をあげるなり行動するなりすることが、大事。




(そういった声がなければ、社会問題解決の「プロ」もその課題に気づけないし。)





「フィランソロキャピタリズム」という言葉が、利益追求だけがすべてじゃないっていう価値観の変化の象徴とになってその変化を推し進めてくれるのはありがたいんだけれど、



あくまで今の時代の「象徴」。



次々にわき出てくる社会課題に、どんどん対処できる「運動性」を、社会で保ち続ける力はないだろうな。




=============
ところで私がこの言葉を知ったのは、

最近NPO関連の某学会の会議のお手伝いをさせてもらっているから。


NPO関係の研究者の、最新の議論が聞けておもしろい。


特に、日常なんとなく感じていることが、研究者の付与したコトバによって整理される場面もあり「なるほど!」って思うことしばしば。

まぁ一方的に一般化されて整理されるから危険でもあるけど。



しかし、こうやって議論を聞いているだけで、


自分が現場に行って感じたり、自分で議論したりする時間を持たないから、ほんっと頭がゆるゆるです。





まずいなぁ。




がんばらない時間
「頑張る人の、がんばらない時間」


ドトールのキャッチコピー(笑)

今日行ったら、レジのところのすっごく控えめなフラグに書いてあった。


一瞬目に入っただけだったんだけれど、すごく心ひかれた。



がんばらない時間の提供かぁ。。

がんばらない時間、必要。



ってまぁ勉強しに来てるんだからちょっとがんばらなきゃいけないんだけれど(笑)


がんばるにしても、肩の力が抜けたがんばり方ができる。


行き詰っていた考えも、ふっとほぐれる。




私はたしか、大学2年くらいまで喫茶店の意味がわからなかった。


なんで法外な値段でコーヒーを買って飲まなきゃならないんだー!?と。


コンビニで買えば100円くらいのコーヒーも、喫茶店だと200円、350円・・・

(まあ後にフェアトレードコーヒーなるものに出会って、ドトール価格すらコーヒー生産者にとっては「法外」ってことがわかったけれど、それはここでは置いといて。)




でも喫茶店もいいもんだと思ったのは、大学2年生の冬にゼミでハンガリーに行って、フリータイムの時に一緒にいた人たちと

先生お勧めの喫茶店に入ったのがきっかけ。




旅って、ついついみたいものがたくさんあると、先を急いじゃうけれど、

素敵な雰囲気の喫茶店でゆっくりお茶したた時間が思いのほか充実していて、今でも思い出すと心がほっこりする。



このへんから、単にモノだけでなく、流れる時間にも「価値」を見出すようになった、かも。






そうはいっても私は今でも、めったに喫茶店には行きません。


お金はちょっとでも節約!っていう精神で(笑)


どこへ行くにも、飲み物は基本持参だし。


どーしても休みたくなったら、マックを探して100円で済むものを見つける(笑)

(マックを探している時間を時給換算するとすぐ目に入った喫茶店に入った方がトクだったってこともある(笑))




ただ最近は、家にこもって勉強しなくちゃいけなくって、

ずっと家にいるとさすがに息が詰まるのと、なんとこの猛暑に家にクーラーないから暑すぎるので、


こうして近所のドトールに駆け込むわけです。





いやぁ。

ドトールで人間観察するのはおもしろい。


店内の雰囲気にすっと同化して、店員さんの振る舞い。


この振る舞いは、作ってんのかなぁ・・・?それとも自然とこういう振る舞いができる人がここで働いてんのかなぁ?


あ~私も牛丼屋やめてドトールで働いてみたいな(笑)脂っこくないし、威勢よく叫ばなくっていいし。。。
(ドトールにはドトールの苦労があるんだろうけれど。時給安いし。)






涼を求めてやってくる、買い物帰りのおじちゃんおばちゃんたち。

長年連れ添った夫婦のチームワークで、おじちゃんはおばちゃんの荷物をさっと持って先に席へゆき、おばちゃんはあとから2人分のコーヒーをもって席へ向かう。



あれ、バイト帰りの若い店員さんとお客のおばちゃんが話してる。顔なじみなんだなー。


せっかくコーヒー頼んで席についたのに、携帯が鳴ってすぐに店を出て行ったサラリーマン。何カリカリしてんだろーーー。



いくら混んでこようと我関せずで勉強する若者。あ、私も勉強せな。





しっかし、よく考えれば。



頑張って稼いだお金で、がんばらない時間をわざわざ買うのも、滑稽だよな。



がんばらない時間をわざわざ買わないと自分が癒されないくらいまで、頑張らなくって済む生き方をしたいな、私は。



だらだらしたいってわけじゃなくって、もうちょっと、「生きる」ってことにフィットした働き方をしたいっていうか。。



といいつつ私はこれからしばらくは、頑張る生き方をしちゃうんだろうな。


まだまだドトールさんにもお世話になるな。








もんもん
はーーーー

意味もなくパソコン開いてふらふらしてまた時間を浪費してしまっている。

現実逃避中の私の行動。

PCおそるべし。マジで時間泥棒やわぁ。

そんなわけで、ネット接続したときのトップページをヤフーからグーグルに変えました。ヤフーだといろんなニューズが目に入って、思わずみちゃうから~



昨日は飯田橋会の会議だった。ひさしぶりに。

今回は、メンバーそれぞれが取り組んでいる事などを語り合う時間を設けた。


同じ空間にいるけれど、本職は別々だし、ほんとそれぞれの夢を感じた素敵な夜。


ところでこの飯田橋会メンバーの語る「NPO」と、インターンで係わっている「NPO」と、周りの友達がぼらんていあで係わっている「NPO」

なんだか語られ方が違う。



飯田橋会メンバーの語る「NPO」は、メンバーみんな若くって「社会を変えたい!」っていう熱意むんむんで活動しているから、勢いがある。むんむん発せられる雰囲気は社会起業家のイメージに近いかも。



インターンで係わったNPO・・・・って色々あるんだけれど例えば自分のインターン先は・・・プロ集団ってかんじ。実際、資金仲介に関わることでかなり専門性が高い。また、スタッフの年齢も40代くらいと飯田橋会メンバーと比べたら高い。

こっちは、とつとつと社会課題に向き合っているかんじ。一方で自分の生活も確立されていて、淡々と動いているかんじ。



友達がボランティアに行っているような団体は・・・これまた色々なんだけど・・・たまたま、広くボランティアを受け入れている団体が多くって、ボランティアの年齢層もバラバラっていうパターンの団体に関わっている友達が多いかも。
地域に根付いて、地域の人を広く巻き込んでやっているというか・・・環境系でも障害者支援でもまちづくりでも。
飯田橋会メンバーの語るNPOのような勢い(事業性?揮発性)はそこそこで、プロフェッショナル性もそんなに(表面的には)感じなくって、

地域の課題に向き合ってみんなで解決しようとうごいてきた流れがあるのかなーって感じる。



NPOっていっても、いろんな形がある。

今、自分が「スタンダート」と思っているNPOの形も、色々あるNPOの一部だし、今までの市民活動・市民運動の歴史があったからこそ作られてきたもの、じゃないかしら?






そんなわけで、いや実は前々からやりたかったんだけれど、

NPOに関する勉強会を立ち上げました。


NPOにボランティア等で係わっている若者(学生)を集めて、

今あるNPOができてきた流れを探るべく、市民活動・市民運動の歴史を勉強することになりました。


勉強する中で、今のNPOの社会的立ち位置をつかみたいなぁと思って。



やっと、立ち上げられた~

今まで、仲間が見つからなくって。

同じ問題意識を共有できる仲間に出会えてうれしい今日この頃です。





さて、浮かれるのはこれくらいにして。勉強会詳細はまた落ち着いたらアップするとして。





大学院の研究計画書の修正がおわんなーーーい・・・・・・・

自分の英語力のなさにあきれる・・・・

っていうかなんとなく心定まらなくってもんもんしてる・・・・




おそらく、どの道へ行っても私はそれなりに頑張れる。ヤバいと思ったら自分で軌道修正できる力を、身に付けた。




でもねぇ。迷うもんは迷うよねぇ。高い学費かけて行こうってんだからねぇ。




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