俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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市民セクター全国会議
今日は千駄ヶ谷まで、日本NPOセンターの主催する市民セクター全国会議に行ってきました。

http://www.jnpoc.ne.jp/c-sector2010/


参加費がめちゃくちゃ高い・・・のですが!私はインターンしてたNPOが主催するセミナーのお手伝いで行ったのでタダでした(笑)

内容は、「市民ファンド」に関すること。


市民からお金を集めて、主に市民活動団体に助成してゆく仕組みですね。

単に団体にお金を出すだけだったら、行政委託でも助成財団からの助成金でもいいんですが、

これは「市民から寄付を募る」という行為を通じて、市民の参加を促すこと、市民力アップも目的としていることがミソですね。

また、NPOってものに信用がなかったら誰も寄付なんてしてくれませんから、同時にNPOへの信頼アップ等も目的だし、そもそも「民から民へ」っていう新しいお金の流れを作るっていうチャレンジでもあります。単に資金をとどける仕組み、というだけでなく、運動体でもあるんですね。



事例報告が3つある中で、共通点もあれば相違点もあって、オドロキでした。

それぞれの市民ファンドの目的によって、おのずと市民ファンドを運営してゆく上で大切にしてゆくポイントも変るから、言われてみれば当然ですね。



なお良く似た概念として「市民バンク」とか「NPOバンク」というのがありますが、これは「バンク」という名の通り、融資ですね。市民がお金を出資して、NPOに貸し付けて、一定の期間を経たら利子つけて返済されて、出資者の元に利子と共に戻ってきます。

ただ、市民の出資者の方が、「オレは利子なんかいらねぇからNPOに頑張ってほしいんだ!!」っていう人が多かったり、普通の高額の利子だとNPOも厳しかったりするので、利子率は普通に銀行からお金を借りるよりもかーなーり低く抑えられている場合がほとんどなようです。
また、市民力アップ・NPOへの信頼アップ・NPOへの資金循環創出などを狙った運動体でもある点は「市民ファンド」と共通でしょう。



印象に残った点を2つ。

①事業性がNPOのサステナビリティの全てじゃないぞ!!

NPOだって、きちんと自立してお金を稼いで、継続的に存続できるようにならなきゃだめだよね・・・という話になると

どうしても「NPOの事業性を確保するか」という話になります。

つまり、どうやってNPOのミッション達成をしつつも、ある程度儲けてゆくか、ってことですね。



私は、ある程度儲ける、ってのも必要だろうし、それが可能な団体だったらいいと思うのですが、

儲けられない・儲けにくい団体はどうすんねん!とか、

事業性事業性って話ばっか偉そうにしてる人が多くなったなぁ~なんかホントにわかってんのかなぁ~(正直者ですんんません)みたいな印象を、ざっくりと持っておりました。



そしたら今日のなるほどポイント!


「(市民ファンドなどの形態で)、地域の人々がお金を出し合って団体の活動を支える土壌を育てることだって、団体のサステナビリティづくりの一つと捉えていいのではないか。」



・・・ホントですね。

事業性の議論だと、いくらコストがかかっていくら儲けが出て・・・という数字上の議論になりがちですが、(もちろん、団体の収支や現状分析を行なう際に、数字を使うことが非常に有効だと思うし、どうやらNPOはそういった分析が苦手らしいということもありますが)

元々NPOへの信頼がなかったり人々のつながりがないところで、いくら数字をはじき出そうっていったって、難しいでしょということは容易に想像できるように、

その経済が成り立つ「基盤」はものすごく大事だと思う。

そもそも、今はその「基盤」がガタガタすぎて、きちんと活動していれば集る共感のお金も集らないようになっているのかもしれない。

そうだとすればまずはその「基盤」をしっかりつくることに目を向けるのが、事業性云々の議論に先行してもいいくらいの勢いで、大切なポイントだと思います。


まったくーーーどうも近代人は数字しか信頼しない模様で、人とのつながりが生み出す価値に光があたっていない気が。

ソーシャルキャピタルっていう概念もようやっと普及し始めましたがね~。


すると今度はそのソーシャルキャピタルも定量的に把握しようという動きが出てきまして、まぁそれはそれでいいのですが、


数字によって本質が見失われるのが怖い。現場感覚に勝るものはないですね。




②所詮私は、まだ人から聞いたハナシでしかない。


はい、きょう思った点2つ目。

文字通りですが、私は結局まだ具体的に現場で何をしているってワケでないので。

色々ハナシを聞いても、頭だけの理解でしかない。


身をもってわかることはできていないのだろうな~ってことがわかった1日です。


ちょこちょこ、自分の周囲でさりげないネットワーキング的なものもやっていますが、

やはりメインは研究だったり基本的な勉強だったりするので、まだまだ現場を理解するのは先が長いですね。


自分は研究者的立ち位置で生きてゆきたいので、ガッツリ何かを成し遂げたいという勢いはないのですが、


結局現場の方、当事者の方の気持ちをちゃんとわかることはできないんだろうなーっていう、ちょっとさびしい子持ちになりました。


まぁ今の時点から「どうせわからない」なんて嘆いてもしょうがないので、自分なりにできることを軸をもってコツコツやるしかないですね。



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うーん、もっと色々学んだことはあったので書きたいですが、この辺で失礼。


なお懇親会にいけなかったことが後悔です。

あれだけ全国で活動してらっしゃる方が集っているので、色々面白い話聞けただろうなー

というか今は、人の話を聞くだけでなく、私の考えていることを聞いてもらって、指摘してほしい。

特に今後の研究の視点とかね。


でもなーーー翌日演奏会前最後のお稽古で、でもまだ全然唄も三味線もできてなくって、さすがに唄ももっと徹底&三味線暗譜してないとまずいだろーー破門やでーーって思って、帰ってしまった。自分の自己管理の甘さに残念。


しかも結局、今日あった人にメールしたり気になったこと調べたり後輩に教えてもらった津軽三味線奏者の音源聞いたりしているうちに時間過ぎて、ほとんど練習してないし(苦笑)あーーやべーーー破門だーーー


土蜘、唄、難しすぎる!!!!!

なぜこんなに、三味線と違う音を唄わねばならぬのだ!!!!(まーこうすることで、立体的な表現ができて、すごーくいいんですが・・・初めに覚える段階から「あれ?いつもならこれくらい聞けば大体覚えるのにな?」というくらい聞き込んでも、全然覚えられなかったのは、この独特の難しさゆえだったのか・・・)

☆演奏会情報でました
早稲田大学長唄研究会ブログ
http://wnagaken.blog98.fc2.com/



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マルクス『資本論』より
少し時間ができたので久ぶりにブログを書いてみる。

私は基本的に土日のどちらか、9時から14時くらいまでバイトをしていることが多いが、今日は午前中に授業があったのでお休みだった。
9時から14時までの間に、家から1時間半かけて学校へ行き、90分の授業を受け、新聞を3紙ほどざっとチェックし、ゆっくりとお昼を食べることができた。ちなみに今日は贅沢してデザートも食べた。

この貴重な5時間を、毎週時給労働で牛丼屋の単純作業に費やしているなんて、ほんとに馬鹿げているなぁとつくづく感じる今日この頃。

働いて稼ぐとは大変なことなのだと実感するよい機会でもあるが、どうも貴重な人材が無駄に消耗されている気がする。今はとにかくしっかりと勉強して力を蓄えた後、自分の能力を存分に発揮出来る形で社会に貢献したいものだ。



さて、大学が後期に入ってからというもの、早稲田大学社会科学部の田村正勝教授の授業を拝聴させていただいている。これが面白い。目からうろこが出るほど。

田村先生は大学内にとどまらず、経済界に今の経済を変えるよう働きかけたり、実際に人々が豊かな生活を取り戻せるようNPOでの実践に講演活動にと大忙しのようである。

そういった先生のご活躍や、先生の授業が私の学部の看板の1つでもあることは知っていたが、私はあえて今まで取っていなかった。なんとなく、自分の身のたけに合わない気がしたからだ。

実際、3年生のころ1度だけ聴講したことはあり、その知識の深さに驚いたものの、まったく真実味を持って自分の胸に訴えかけてこなかった。自分の知識不足は今も昔も変わらないが、それ以前の問題として、社会に対する「感度」があまりににぶく、自分の生き方の中で大切にしたいと思う「軸」が形成されていなかったからであろう。

しかし今は、そういった「感度」や「軸」を、NPOでの活動やインターンとして様々な人に揉まれる中で形成できた。



…とこれ以上つらつらと思いつくままに書くと、また時間がなくなってしまう。


今日はせっかくなので、本日の授業で聞いたことの中でぜひ皆様にも知っておいていただきたいと思ったことをまとめてみる。


マルクスが『資本論』でまとめた、資本主義の不可能性についてである。


マルクスは、資本主義経済ではなぜ「搾取」が起きるのか、そのメカニズムを明らかにしようとした。

なお、マルクスは1818~1883年に生きた人であるので、その時代の現状を想像しつつ理解しないといけない。



マルクスによると、資本主義経済を

①交換の場
②生産の場

の2つに分けられるとし、それぞれの場合において搾取が発生する要因を探ろうとした。



①の交換の場、とは、資本主義経済の特徴である「資本と労働の交換」を指している。ちなみに物と物との交換はどんな経済でも成り立つものだが、資本主義経済においては資本と労働が交換できるというのが特徴的らしい。

マルクスは、この交換の場においては、搾取発生の要因は見当たらず、問題なく機能しているとした。

もしここで搾取が行われているとしたら、労働者が自分の生存の糧を得るために働かなくてはならない「必要労働時間」に対し、正当な賃金が支払われていないということになる。(・・・必要労働時間と資本の交換のことを「交換の場」と言っているようだ。)

しかし必要労働時間に対して正当な賃金が支払われていなければ、労働者は生きてゆけず、資本家も働き手がいなくなり困ってしまう。なので必要労働時間に対しては正当な賃金が支払われている(ハズ)というのが、マルクスの会見だそうだ。



次に②の生産の場。これは純粋に、資本と労働が協力しあうことによってモノが生産される、という現象を指している。(資本だけでも、労働力だけでもモノは生産できない。資本たる工場の機械設備があって、そこで労働者が働くことではじめて、モノが生産される。)


マルクスは、この生産の場に搾取の原因があると指摘した。


簡単に言えば、生産の場において労働者は、自分の生存に必要な労働時間(必要労働時間)以上に働かせられているのに、必要労働時間分の賃金しか得ていないというのだ。

ここでまず、なぜ労働者が必要労働時間以上に働いているのかその構造を解説する。


労働者が自分の生存に必要なだけしか何があっても働かないとすれば、生産量は一定で拡大することはない。


資本主義において資本家は、生産量を拡大に、利益の出た分を再投資し、また生産量を拡大させる・・・といった直線的な繰返しを続ける性質がある。


これは現代の企業でも、「昨年度売上より●%アップを目指しましょう!」と叫んでいる声を聞くように、明らかである。(・・・確かめたわけではないのが痛いが、そんなような気がする。)


もちろん年々労働時間を1時間づつ増やすといっても限界があるので、実際には再投資する際にさらに効率的に生産できる機械を投入するなど、生産の効率性を上げることが目指されている。


ここで、毎年の生産向上は、誰のおかげなのか考えてみる。

資本家と労働者、2人のおかげである。


しかし実際には、生産向上の利益は労働者には配分されず、資本家が独占、再投資に熱を入れている。

つまり「搾取」が発生しているのである。


搾取が発生しているとはいえ、労働者はとりあえず自分が生きられる分だけの賃金は貰っているので、その事実になかなか気づかなかったり、どうしても力関係として資本家が上の立場であることが多いので、何も言えなかったりするようだ。



私の実感に照らし合わせれば、私は大手牛丼屋チェーン「すき家」(会社組織としては、株式会社ゼンショー)でアルバイトをしている。ゼンショーの売り上げは、ライバルである吉野家や松屋をとうに追い抜いてここ数年うなぎのぼりであるが、私のバイトの時給は上がっていない。これはゼンショーが、他店と差をつけるために次々に新メニューを投入したり、さらに効率的に作業を進めるために頻繁に変更されるオペレーションに必死に対応し、労働を提供している我々労働者を差し置いて、上昇分の利益を独占し、再投資を繰返している結果といえる。(・・・たぶん)


また、授業で聞いた話によると、売上向上による利益拡大が目に見える形(たとえば、年々新しい機械が投入される、在庫がどんどん増える、など)であれば、まだ労働者は自分が搾取されていて資本家ばかりが利益を独占していると気づくかもしれないが、日本は輸出によってなりたつ部分が大きいので、資本家の利益独占とその拡大が見えにくくなっている構造もあるらしい。


*****************************


このような搾取の構造をとらえ、マルクスは「資本主義は遅かれ早かれ崩壊する」と予言した。


しかし、現状では資本主義は残っている。
(ただ厳密にいえば、今日の大半の先進国のように、市場の動きや市民の生活に深く政府が介入している社会はもはや純粋な資本主義とはいえず、とくに日本は社会主義ともいえるらしい。)


なぜ現在も資本主義が残っているのか、

それはもう、だましだまし存続させているようなものなのだというのが、授業を聴いての感想だ。


搾取が起きているといっても、労働者にとっても資本家が多少は利益を得て再投資してもらって、生産効率のよい機械を取り入れてもらったり利益のパイを大きくしたりしてもらうことはある程度必要だと考えていたようである。


かといって黙っていては搾取される一方なので、春闘など労働者の声を主張し賃上げを要求する機会が、制度的に取り入れられている。


資本家と労働者の主張を調整しつつ、だましだまし成長を続けてきて、今に至るのではないか。



だが・・・私はこのあたりの実態が知識不足なので違っていたら指摘してほしいが、春闘は機能しているのか?賃金のベースアップはどの程度実現しているのか?

企業の内部留保や株主への配当は増えている(たしか)が、その率と比べて適正なだけ賃金は上がっているのか。


企業側は、「昨今の経済状況は厳しくて・・・」と言い訳して、労働者側の主張を退けているのではないか。


労働者も、そんな企業の言葉にうなづくばかりで、きちんとした主張ができていないのではないか。

ここでいう「きちんとした主張」というのは、ただやみくもに賃上げを要求することではない。企業が「厳しい」というのは、さらなる経済成長を続けようとするからで、労働者はそんな成長志向が本当に労働者のためになるのかを問い直させなければならないのではないか。

賃上げはもう必要ないから、労働時間を減らして、文化的な生活を送れるように配慮してほしい…といったことだって、主張するべきなのではないか。(・・・もう主張しているのかな?確認してみよう)


ニュースでも、多くの人が政府に求めることと言えば「経済政策」。経済成長をまずさせるのが第一だと、まだ大半の人が思っているようだ。


とりわけ低価格競争が激しい。もっと質の高い競争はできないのか?



イタリアのある町には、衣料関係の中小企業がたくさん集まっており、生地を生産する企業だけでも複数あるそうだ。

しかしそれらは、価格競争の波の中で淘汰されるのではなく、共存し合っている。それぞれの企業が得意とする分野を確立し、注文する側も作りたい製品の特徴に応じて注文し分けているそうだ。

大企業の下請けだけをする日本の中小企業は、とにかく安くいかに大量生産できるかが問われ、衰退してしまっている。


この低価格競争・質の低い競争を黙認し、事実その恩恵を享受しているのは、我々市民である。我々自身も、もう少し質の高い生活を志向するような教育が必要だ。

教育、というと押し付けがましく感じる人もいるかもしれないが、とかく経済成長ばかり説くマスメディアにさらされ、経済成長がすべてという思考になっている現状はやはりおかしい。もう少し自分の力で考え、自分の大切にしたいものを持てば(たとえば、お金だけでなく人と会って話す時間も貴重だ…と気づくことなど)、自然と質の高い生活を志向するようになるのではないか。


また、現代の日本を見ていると、マルクス時代の搾取のように生存できるだけの賃金を保障された上での搾取でなく、労働者の生存が危険にさらされるまでにも絞り取られている。(過労死はかなり分かりやすい例だし、マルクスの言う「必要な賃金」には、結婚し子どもを生み次の労働者を育てられることも含まれているのだから、それができない非正規労働者がいる現状はやはり異常)




書き始めたらまたいろいろと気になり始めてしまった。そして時間があっという間に過ぎてしまった。また勉強して出直そう。


さてこれから長唄練習です。12月5日が定期演奏会なのでみなさんよろしく!





ふ~
つかれた~

今日は有明のパナソニックセンターで知り合いのNPO主催のイベント手伝ってきた。


で、勉強になったので頑張ってブログに書いてたら途中で消えた。


…今日は諦めてねます

やっぱちょっと日程的につかれたな~(歯が痛い)ゆっくりカフェごはんしたいな~カラオケ行きたいな~…


音楽熱
ああ・・・やばい。

音楽熱、再燃中。

ちょっと静養で勉強から離れているその時に!早稲田祭で演奏&他の方々の演奏とかも聞いちゃったから、やーばーいー。


ぬあぁぁぁぁあっ、あぁぁ!なんかやりたい!弾きたい唄いたい!


私は別に、特別楽器ができるわけでもなく、歌(ないしは唄)が上手なわけじゃないですが、

ええそりゃもう自分で分かってるんですが、


なんだかねー自分のことしゃべるのが苦手な分なのか、音楽で発散したいものがいっぱい溜まってるんですよね。



あーーー。津軽三味線やっぱりやりたいなぁ。ある程度のレベルまでは弾けるようになってみたい。

津軽三味線が得意とする表現、長唄三味線が得意とする表現ってそれぞれあるから、自分の表現したいことに応じてどちらも使いこなせたらいいなぁと思う。


ギター(アコースティックギター)も、やっぱええなぁ。以前ちょこっと自己流でやっていたけれど、弦が切れて新しいの買ったつもりがなんか別の種類の買っちゃったみたいで、それから触ってない(笑)


ギターは、単体で細やかな表現ができるのがいいな。

長唄三味線は、曲によってはやっぱり複数人で弾かないと表現の豊かさ的に不十分な面があるけれど、その点ギターは弦が6本だし!より奥行きのある表現ができて、いいなーって思う。

弦に直接指が触れて奏でる音も好きだ。


あとねー、一度歌を習ってみたいんだよねー。長唄とは別に。

いわゆるボイトレってやつ。


・・・ボイトレってなんか恥ずかしい響きだなぁ。別に歌手目指しているわけじゃないですよ一応。


私ホント、声量は大きいんだけれど、音程がとれない・安定しないんよね。あと高い音が苦手。意外と音域狭い。


なーぜーか、長唄は学生レベルではそれなりに唄えるんだけどね。

なんやろ、まず長唄においては、

1、演劇的に唄ってごまかせるような曲をけっこうやっているから、うまいと勘違いされている。(ちなみに中学時代は演劇部w)うん、メロディラインとしての唄はそんなにうまくないけれど、日本語として伝わるように唄うとか、表現面ではかなり気をつかっている。

2、三味線のシンプルな音にあわせるから、なんとか音が取れる。ポップスみたいに抑揚激しくなくって音の動きがゆっくりやし!今計ったら、「さるほどに」っていう歌詞を、「さぁるぅほぉどぉぉ、にぃぃぃ~~」って15秒かけて唄ってた。それが長唄。

3、努力でカバー。
うん、ほぼこれ。とにかく自分の唄を録音して、音程ずれている部分は直して・・・っていうのの繰り返し。
先に述べたように、三味線のシンプルなメロディラインと長唄独特の音のとり方に慣れれば、なんとかそれで修正していける。たぶんポップスだと音が違っていると気づいていても追いつかない&歌うべき音が多すぎて修正してたら日が暮れる?かな。




ああっ、でもさぁ、この方法だと既存の長唄しか歌えないんだよ!なんかもう、自分で歌いたい曲を、自分で曲作ったりして、自由に歌えるようになりたいんだよねー。

そのためにもっと自由に声を操れるようになりたいんだー。だから今教わっているような長唄だけでなく色んな声の出し方を学んでみたい。


唄うだけじゃなくって演奏もしたいから、自分の表現にあった楽器を自由にならせるようになりたい。


私にとって楽器とか唄って、言語みたいなもんで、今はなんだか、伝えたいことがあるのに相手がブラジル人で、うわー私ブラジルの言葉わかんねーから伝えらんねーよー!!!っていうもどかしい感じです!


ああもう!


いろいろやりたい!!!!!




・・・・って音楽熱にスイッチはいると別のこと手につかなくなるから、ここ最近セーブしていたんだけど。
(長唄も、やり始めたら絶対夢中になるって分かっているから、今はセーブ気味)


あーやっちまったスイッチはいってしまった。


あ、明日は久しぶりのガチ長唄お稽古@先生宅だ。土ぐも唄を、三味線タテと一緒に見ていただいてきます。



先生のところで長唄をならってしまうと、そんじょそこらの唄には感動しなくなった。

別に排除しているつもりじゃないですよ。

ただ自分の中で、きちんと「ことば」を大事にしない唄い方は、好かんようになった。

ネットで色々見ていると、おるねんな。声はいい声して唄ってるんだけど唄い方テキトーで、自分の声の出るとこだけ気持ちよくうたっとるやろーみたいな。


相手に伝わっているのかお構いなしで、自分が気持ちよく唄えればいいや的な。


そういうのも、人によってはアリなのかもしれないけどね。


でも私はちょっとそういうのはごめんだな。


私も、自分の伝えたいことを表現したい・・・みたいな欲求はあるけれど、押しつけるかんじはやだな。





あっ、そうそう、書こうと思ってたこと。

先日友人に「古典芸能ってまず型を覚えて、そっから破壊するんやろー」っていわれて、うっかりうなずいてしまった。

でも、半分あっていてちょっと違う。


友人は、破壊の段階に至らない限り自分の表現なんかできなくってつまらない!っていう解釈だったようだが、


私は、長唄の表現がステキだから一生懸命マネしようと、お稽古しているかんじ。


自分の表現を追い求めてつんつん?してたら、型を覚えるなんてまどろっこしく思うかもしれないけれど、

昔の人の表現から「あっ私もそう思う」って共感したり、「ああそういう感じ方もあるんだ」って新たな視点を得られたりするのも、またいいもんだよ。



小説を読んで主人公の気持ちを疑似体験するように、自分にはない感情を長唄から逆に学んでそれを取り込んで唄ってゆくうちに、自分の感性が広がってきたかもなーって、振り返ればおもうなぁ。


ふう・・最近のこととちょっと将来のことと。
ふう。

かうんたーぱんちをくらった。


なんか2週間前くらいから奥歯の歯茎がはれていて、でも時間なくって放っておいたらどんどん膨れてきて、ついに歯医者いったらむかーーーし虫歯で神経を抜いて特別な薬?金属?だかをつめた部分に雑菌が入ってて膿んでるんだってさー。


「こりゃ抜歯ですね~」って言われて、その時は「ふーん」って思っていたけど、調べてみたら抜歯ってけっこう厄介なのね。。入れ歯にすれば別にいいやって思っていたけどめんどそうだしその後痛みが続くひともいるらしいし、口に異物が入ることで頭痛をひきおこす人もいるらしいし・・・(私ちょっとしたことで頭痛おこす人だから心配。)


はぁ~がっくし。やだなぁ若くして入れ歯。


かといって抜歯しないで済む方法もあるらしいけど、保険外で20万くらいかかるらしいし。


・・・うーーーん、今後の人生を考えれば投資すべきなのか・・・?よくわからん。



とりあえず痛みがある程度引いてからでないと何もできないってことだったんで、抗生物質もらっておとなしく帰った。


しかし抗生物質飲んでも良くならず、ってか悪化して、あせった。



うーん、無理してバイトして、その後振りして長唄お稽古いっちゃったのがひびいたか・・・


歯から耳とか頬の方まで痛くなっちゃって、なんか怖くなってその日・翌日の予定を全てキャンセルして医者(それもわざわざネットで探したところ)&静養させてもらった。


はぁ。。。NPO関係で頼まれていたバイト(しかも電話かける仕事)をドタキャンしてしまった。。。申し訳ない。。。。



しかし、ここ2週間くらいの疲労は、自分でもあれあれ?って思うくらい尋常じゃなかった。


体力つけるべくたまに走ってるんですが、その調子はよかったんだけどな。休息が足りなかったか。


もう体全体で抵抗力が落ちていたら、そりゃ歯も悪化するわな。



そういえば10月以降、気持ちの休まる間がなかったかもな。


それまではどんなに忙しいっていっても、週に1回くらいはゆっくりご飯を食べて、ちょっとはまったりする時間をとっていた(とらされていた?)んだけど。


確かに後期から、授業が減ると思いきやけっこう普通に授業とらなきゃならなくって、おまけに進学予定の他大学の院ゼミにも出てて、土曜日にも授業(しかもゼミ)が入ってしまって、日曜日はバイトしなきゃいけなくなってっていう、生活リズムの変化は、予想以上に体に打撃だったのかも。


あ、もちろん所詮は学生なので、学校にも10時半に行って4時半には終わるとか、拘束時間的には社会人とは比べ物にならないほど自由な時間はあるのね。



でも、自由な時間にこそ自分のしたい勉強ができる!しなきゃ!となるから、結局休む間がない。

どの程度休んでどの程度頑張ればいいのか、自分しだいなので、よくわかんない。


リズム、ですね、ペースかな? まぁそれがつかめていなかった。


体力の限界を感じて10月半ばには早々に諦めていくのをやめた授業もあるんですが、それでもやっぱりつい空いた時間に予定を入れちゃって、あかんかった~。


=======================

さて唐突ですが。


私は研究者になりたい。


大学院選びなどなどで色んな方々(大学の先生もいれば、大学に籍を置かないような方も含め)にお世話になる中で、やっぱりなりたい想いが強まっていった。


いや、研究者、であると同時に、よき教育者になりたい。



後に続く若者に、世の中を見る為の様々な視点を、提供したい。


もっともっと外に出るよう、後押ししたい。


若者が外に出られる環境を整えたい。




若者に様々な視点を提供するには、私自身が様々な視点を持っている人にならないといけない。

今の私はまだまだ、狭すぎる。


まじでへなちょこやなぁって思う。今の自分、気持ち悪い。なんかもうちょっと、乗り越えたいものがそこにある気がするんやけど。



てか、教育者っていう名称は、しっくりこないな。

一つの方向性に調教するような雰囲気がある。



なんだろうな。まあ私にできることは限られているだろうけれど、私の視点をちょこっとでも参考にしていただければ嬉しいし、私の考えをタタキ台にして批判することを通して考える力を身につけていただければ幸いだし、よろず相談でも持ちかけていただいて私が聞いてあげることで一歩踏み出すお手伝いができればいいな~って思うし、その程度。



立派な大人は、誰もが教育者であると思う。


そうであろうと意識しなくってもね。


私は素敵な「立派な大人たち」に沢山お世話になっている。

別に本人達に教育している気はないだろうが、私は様々な示唆を受け取っている。



私もそんな大人になりたい。


特に、大学の先生になれれば、学生といっぱい触れ合えるから、嬉しいな。

もちろん別の道もあるだろうから、現段階で可能性を限定する気はないけどね。

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とりあえず、


「若者を外に出す」というキーワードのもと今取り組んでいるのは、NPO長期インターンシップに関する調査研究。

これは私が1年間参加したNPOでのインターンプログラム「SSCS」を、ちょっとここは腰をすえてちゃんとその効果や運営面での実態をきちんと調査しましょうよ!!って私が言い出したら、なんか運営委員会の動きと絡んで着々と進みつつある。


自分の卒論や院に行ってからの研究とはちょっと違うから両立が心配だけれど、楽しみ。



また、「自分が大学でメインで行なおうと思う研究」は、やっぱり経済学だな。

いっそインターンシップ関係で、教育関連を専門に勉強するっていう手もあるんだけど、経済学への関心がまだまだ満たされない。


今大学院でお世話になろうと考えている先生は、協同組合、イギリスの社会的経済などについて研究している方。


私もまだそっちの方面は疎くって、まだまだ勉強中。。。せめて入学前に修士論文のイメージくらいは描けていないとまずい。。。(この状態でなぜ受かったのだろうか。。。)



研究の方向性としては、人々のつながりとか、コミュニティの中で、いかにして経済が成り立っているのか・・・というのを研究したいと思っている。


まだ、具体的にはわかんないけど・・・

つながりの中の経済活動って、協同組合もあるし、社会的企業もあるし、地域通貨もあるし、NPOバンクとかも入るかな。


これらの個別事象から1つを取り上げて論じる、のではなく、もう少し理論的に・抽象的に、従来の経済学が忘れつつあった「人間の生活の場の基礎」としての人々のつながりとか生活圏っていうものが、経済活動にどれだけ重要かってことを明らかにしたい。

(・・・やばい、あいまいすぎる。勉強不足だ。現に今、若干の専門用語を使おうとしたけど、定義があいまいなことに気づいて逃げた。)



経済学っていうと、すぐにみんな数式とか難しい記号とか思い浮かべて「私には無理~」っていうけど、いやいや経済って皆さんの生活の身近にある現象そのものなんすよ。

難しいって敬遠していると、一定の頭でっかちな人の良いように利用されちゃうから気をつけておくんなまし。


(ここも若者に伝えたいところ。経済学たぶん、基礎から粘りづよくやればわかるもんだけど、それでもわかんな かっらたきっと経済学の方が現実離れしてるんやと。

 自ら現実を見て、既存の理論を打ち砕く・・・くらいのこと、してもいいと思うんだけど、少なくとも私が今受 けている授業みたいなのを聞いているだけでは、そんな気概を持つチャンスはなかろう。)


まぁ、「従来の経済学が忘れつつあったもの」を見る・・・って事は従来の経済学を理解しないとあかんので、数学漬けの理論にも取り組みたいと思っている。


ちなみに「従来の経済学」を知らんくせにそれを乗り越えようとしているのはアホかもしれなけれど、なんか乗り越えられそうなものがあるっていうのは私の直感が知らせてくれているので、信じて突き進む気でいる。




・・・ただ、今受かっている大学院で本当にいいのかっていう悩みもちょっとあったり。

もうちょっと頑張って、別のところを目指すという選択肢もなきにしもあらず。

いやしかし、まだ受験のために時間を費やすのはもったいない。



本音を言えば、留学したいんですな。イギリスの大学院で修士、できたら博士をとりたい。


ホントは、大学学部を卒業したらそのまま外国の院に留学したいな~と以前からぼんやり考えていたけれど、自分の知見的にまだまだ日本でやるべきことがあるような気がして、現実てきに準備も間に合わず、とりあえず日本の院を受けた。


とりあえず現状では、今受かっているところに進学して勉強しつつ留学の準備をして、こっちで修士をとってから留学して、イギリス(たぶん。)で学位とったら帰ってきて日本で就職・・・ってのが理想かな。

あ~そんな長期戦、私は耐えられるだろうか??そんなものごとスムーズにはいかんだろう。



そういや結婚して出産する暇はあるんだろうか・・・



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研究者への道のりはながい。。


ゆえに、話は戻るが、今から研究者になる自覚を持って頑張ろうと思うと、つい無理しちゃう。


少なくとも、来春から同学年の子達は就職だ。

私はまだ学生だけれども、研究者になるための「就職準備期間」のつもりで、学生気分は捨てて頑張りたいのだ。

でも頑張るにもそれなりに下地は必要で、勉強の仕方とか、研究をする上での基礎知識とか、今までの3年間半まったく身についていないから、来春からスムーズに研究がスタートできるように今大急ぎで叩き込まねばならんことが山積みなのだ。


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はにゃほーーー。(最近の口癖)


なんか偉そうなこといっぱい書いたなぁ。



この3日間(病院行ったり休めなかったバイト行ったりはあったものの)、極力引きこもって精神的にも静養していたくせに~。



要はまとめると、最近の私は頑張りたい気持ちとあせりと不安とでいっぱいいっぱいで、おまけに通院もせにゃならんようになって、なんだよちくしょーって感じなんだな。

ここはひとまず思い切って、今まで気になっていた健康上の不安を解消すべく、病院月間にしよ、、


そして、気心の知れた人達と、ゆっくり飲みたい気分。。。誰か飲みに誘ってください(笑)



以上、めっちゃ個人的なつれづれを読んでくださった方、ありがとうございました~。






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