俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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環境NGOでボラした
今日は環境NGOである、FoEジャパンという団体に、冊子発送のお手伝いボランティア行ってきました!!!


インターンとして仕事をしたり、自分のやっている団体の仕事をしたりはあるけど、

事務所でのボランティアっぽいボランティアはこれが初めてだった・・・!


結論。思った以上に得たものがあった!


環境系、実はあんまり興味なかったんです。

でも今回は誘われるがまま、ちょうど時間あったし行ってみて。。。
(1月始めにあった、NPO/NGOボウリング大会で同じレーンだった方がこの団体の方で、そのご縁でお誘いいただいたのです笑)

地球環境に起きている事を、作業しながらゆるゆると聞いたりしていると、やっぱりリアルに感じられるなぁ・・


どうしても、環境問題なんていっても自分には遠い話…に思えてしまっていましたが、

今日話しながら、環境問題には自分の専門である経済も、人権も政治も色々絡んでいるのだと再認識。

特に市場経済の過熱で、途上国のプランテーションが起きたり…と、あぁここにも経済の問題がつきまとっているのかと…。


恐らく情報として、「先進国が安く商品をつくる為に、植民地に単一の商品作物をつくらせている」ということは知っていたはずなんだけど、今日やっと具体的につかめたというか、身近に感じた。



新鮮だった!!!!


あと、よく環境系のNPOが「エコキャンペーン」とかやっているのを見ても、実は「ふーーん」くらいにしか関心が持てていなかった。わ~っと盛り上がる雰囲気が苦手だったし、そういうのをやって何になるのか、実はよくわからなかった。

でも、こういうちょっとしたキャンペーンの積み重ねで、私たちの意識は形成されてゆくのだろうなーとようやく実感が持ててきた。


というのも、この団体が行っている、ペットボトルのお水を買って飲むのではなく、マイボトルをもって水道水を飲もう!という「水DO!」プロジェクトという話をしていて、思ったのです。

よく考えたら、今でこそマイボトルって普及して、マイボトル持っている人かかっこいいというイメージすらありますが、
恐らくちょっと前までは、逆に500mlのペットボトルを買って飲むのがスマートという感覚だったなぁと思って。(これ私だけの感覚かなぁ?でも500mlペットボトルを持ち運ぶ為のケースやホルダー等のグッズが一時期盛んにでなかったっけ?)

私は以前から、単純にお金がもったいないから飲み物持参派だったけど、みんながスマートにペットボトルのお茶を飲む中でおもむろに水筒を取り出して飲むのはちょっと勇気がいった…。(周り気にしすぎって面もあるが)

でも今は、意識変わってきてるもんなぁ。直接口をつけて飲むタイプの水筒?タンブラー?等の登場も大きかったけど、地道な活動でちょっとずつちょっとずつ変わっていっているのかなぁと。そう考えたら、一見その場だけのわ~っと盛り上がるようなキャンペーンでも、継続してやることで徐々にみんなの意識がかわってゆくんだろうなーと。

何事も、叫んでみなくちゃ変わらんねぇ。
最近は調査とか研究方面に注力しがちで、それはそれでいいと思うけど、実際に社会を変えてゆくためのアクションから離れていたなぁと、反省!



ってか純粋に、他のボランティアやインターンの方と話せたのも楽しかったし!!


今まで、NPOなどの世界に入ってからわりと早い段階である団体の運営スタッフやらインターンやらになってしまって、どこかその団体を背負っているというか、ボランティアさんやイベントの参加者をもてなす側にいることが多かったので、

一ボランティアとして、ちょっと気楽におしゃべりしつつ作業するの、初めてだったかも。社会貢献どうこうとか仕事の効率がどうとかでなく、こういう時間、楽しいね~。




ついでに、あるボランティアさんの意見
「途上国で起きている環境問題には、実は先進国のせいだったりするけど、日本は国民的に、そしてもちろん政策的にも関心が低い。
その点ヨーロッパは、植民地との歴史的関わりが強いから、その分イメージがついて国民が意識を持っているのではないか…」

という話には、そういう考え方もあるのかーと感心。もちろん日本とヨーロッパの国民意識のことは、様々な説明がなされるのだろうけど、この考え方は初めてふれたなー。



あと、あんまり日本のNPOの現状わからないんですーという方に、NPOとNGOの違いとか、今のNPOが抱える問題とか、寄付意識の事についてとか、さりげなく解説している自分に出会えた(笑)そして「なるほどー」とか言ってもらえて自己満足した!

うわー私、こんなに語れたんだー!

いつの間にやら、世間一般の方よりはだいぶ知識がついてきたようです(これだけやっていて知識ゼロだったら問題ですが…)

でもちょっと人より語れるようになったからこそ、テキトーなこと言えないなぁと背筋が伸びた。

もっともっと勉強せねば!!


いやあ、楽しかった。元小学校の一室を借りた事務所だったので、広々していて気持ちよかったし。
あと、作業が早く終わったので、スタッフさんのお土産&売り物のコーヒー豆を挽きつつ、スタッフの方とゆっくりお話できたし。手でまわして豆を挽いたの初めてでした笑


ピクニック等の気軽なイベントや、簡単なアンケートへの協力もあるようだし、また行ってみよっと!


なお今回はあずまや(主催しているNPOに関する勉強会)のメンバーと行ったので、近日中にあすまやブログに今日の様子がアップされるはずです~

************

ちなみに昨夜は、a-conというNPOのコミュニケーション促進を支援するような団体と、日本財団の学生ボランティアセンターgakvoの方たちとの懇親会に行ってまいりました!

これまた、楽しかったんだよね。

また、色々考えさせられることもあったし、背筋が伸びた。

詳細は、あずまやブログにも書きますし、後でこの個人ブログにも書くかもしれません。もうちょっとしっかり振り返りたいので。



とりあえず、明日のテスト勉強に戻ります!!!

完全に気が抜けて気合入らず、ブログ書いている時点でダメダメなんですが…
なんだろこのフワフワ感。恋かな?笑 恋したいなぁ!

とりあえずもうちょっとだけがんばるー笑
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覚え書き
生活の糧を得るためにある程度競争があるのは仕方ないし、利益を得るために時としてわざわざニーズを作るような戦略を行う人が出てくるのも防ぎようがない。


だが、
その競争はほんとに正当に行われているのかが問題。もし、誰かを搾取しつつの競争なら、私は受け入れがたい。また、競争のあまり人間らしい生き方(例:新たに人を雇うより今いるひとに残業代を支払った方が安いから、超過残業を強いられて家族との時間が持てないなど…)が無視されているのなら、そこまでして競争するって本末転倒じゃない?と思う。


だから、競争するにしても道徳的なルールを守ってほしいし、もう少し人間らしい生き方を大切に第一にしてもよいと思う。(日本はもうだいぶ豊かなんだし。)


ただ、こんなことを一人で思っていても他の人の競争が止まらなかったら、置いていかれて食べらんなくなって終わってしまう。だから多くの人に、改めて働き方について考えてほしいと思った。


=====
余談。
色々書いたが、私は中小企業の方の現状に疎い。もうちょっと知りたいな。


自己責任論について
結局、自己責任と社会的要因なんて、分けることできないよなーと思った。

会社入ってつぶれてホームレスになったら、社会的要因といえるかもしれないし、そもそもそんなつぶれそうな会社を選んだ自分が悪いということもできる。こじつければいくらでも。

毎日酒を飲んで怠けているように見える人も、そういう人なんだから貧乏でしょうがないとすることもできれば、さらに掘り下げて、家庭環境が悪くってそういう生き方しか選択できなかったんだから社会的要因だ、とすることもできる。


ポイントはある個人の状態が自己責任か社会的要因かではなくって、どんな社会を私たちが望むかだろうな。



っていう覚えがきでした。


そこそこの働きかたについてその2
前の記事(そこそこの働き方について考える)にいただいたコメントに返事書いたんですが、なぜか投稿できなかった・・・(禁止ワードが含まれている?)ので、本文に記載。奥くん、こんなとこにさらしてごめん・・・


(以下)

>奥くん

コメントありがとう!

まず、お互い「そこそこ」が何をさしているのかイメージがずれているようなので、その誤解を解くことから。
そこそこの暮らしって、そこまで食うや食わずのところはイメージしていません。


たぶん奥くんと、使っている言葉は違うけど、所詮求めている生活のレベルはそんなに違わないと思う。
一食の食費に1万かけられるようになるまで頑張り続けるか、一食500円レベルで満足として働く量を調整し、その分他のところで楽しみを見出すか、の違いくらい。


ってか最低限の暮らしとは言っていないな。「私の望むそこそこの生活の為に必要な、必要なだけの稼ぎ」をしたいのだって言えば明確かな。人生の中心に生活があって、仕事はそれにあわせて考えたい、的な。
「ちょっと畑やりつつお茶屋さんやりたい・・・」というのは本当に「理想」であって、実際考えればどれだけ厳しいか、自給自足なんて自然相手で大変なことなんだ、というのは想像できます。



ブログで書いた点で重要なのは、たとえ私が「そこそこ」の生活を志向して、このくらいでいいかな~と働く量を調整したくっても、競争相手(隣にできた新しいお茶屋さんの例)がいる以上競争は発生してしまうということ。これは現実。


こう考えてゆけば、私が教授になったとして・・・の問い、寝る間も惜しんで頑張る後輩を選ぶでしょうね。(頑張った量が教員としての資質に比例すると仮定すればですが。)だって、教員になりたいという目的の下で競争しているのだから、限られたポストの手前勝ち負けが出てしまうのは仕方ないです。私も、そこそこの生活を志向してはいますが、それを手に入れる前にやりたいことがあるから教員になりたいと思っているので、その為には努力するでしょう。


私が指摘したいのは、日本社会全体としてほとんどの人が(たとえそこそこ生きたいだけの人も)、競争が過熱している中でめちゃくちゃに働かねばならないという風潮。知らぬ間に市場経済が拡大して競争に飲み込まれている事態に無自覚な人が多いということ。また、過熱した競争の見えない部分には、非正規労働者など不当に搾取されている人もいるということ。(もちろん「そこそこ生きる」といったって要所要所で競争があるのは仕方がないですが、全体の風潮として)



現代社会が、ゴミをあさって生きてゆけるくらいまである程度豊になったのなら、その豊かさをそれこそ途上国の人の分けてあげればいいのにと思う。
必死に頑張らねば餓死してしまう、自然的なサバイバル状態から日本が既に脱しているとするなら、今の状態は人工的なサバイバル状態。十分豊かなのに休むことを知らず、無理やりにでもニーズを創出してゆく感じ。そんなのいつまで続けるの?ちょっと立ち止まって、別のところにエネルギー使えばいいじゃん、と思う。

そんな、転落に備えてひたすら働くという道は、本当に奥くんの希望ですか?キリないし、どんなに蓄えていてもいつ誰がどんな形で転落するかはわからないのに。



個人的には、日本全体でもう少し労働時間が減ればいいとは思っていますが、これはまた別の機会に。(理由は色々ありますが、もう十分豊かな経済環境なんだから、ちょっと休んだ方が人々の精神衛生状態も良くなり、医療保険費なども削減され、環境にもよく、余暇でそれこそ本当に困っている人の為にボランティアをしたりできるのに・・・的な理由。労働時間減っても今の経済水準はそんなに変らないというデータもあるようだし。)



> 関係ないけど、自分の貧しさを誰かのせいにしてるような貧乏人は、どんな経済システムでも貧乏人になるんじゃねぇかと思うんですよね。

誰かのせいにするって、具体的にどんな感じなん?まぁ、どんな集団でも人が集ると、頑張るのは2割で、あと6割は言われたら動く人で、残り2割は怠ける・・・みたいに言うから(割合は記憶あいまい)、社会の中で一定割合はそういう人が出るのはわからんでもないんだが。

ただ、貧乏人(というか貧困者)は現在増えていて、その内実も多種多様になっているようだから、ここ話し出すと長くなります。ひとまずあまり自分のイメージで決め付けず色々な面からみないといけない。私もよくわかっていないので、そういう人が集る施設でバイトしようとしてるんだけど。確実に、自分ではどうにもできない事由で貧困に転落している人がいる。

また私としては、どんな貧乏人でも放置しておいて気持ちのよいもんじゃない。感覚として、自分だけ幸せなるってことに違和感がある。

「全ての人間には人権があって・・・」みたいな話は奥くん嫌いそうだからしないけど(笑)、ちょっとサポートすれば社会全体の人がまるくおさまるんだったら、自分の生活がそこそこ安定してるんだから、サポートしたいなーって思う。何言ってもどうしようもない人もいるかもしんないけど、その人にばかりフォーカスしていても何も解決しないし、本質的にどうしようもないヤツなんてわからんし。

例えば奥くんが演奏会本番に三味線のバチを忘れてきたら、それは自己責任、演奏できなくてもしょうがないと切り捨てることもできる。でも私は、私のバチを貸してあげる。ちょっと気づかって譲るだけで奥くんも他のメンバーも気持ちよくなれるんなら、そっちのがいいじゃんと思うから。


他に、あまりに奥くんが怠け者で周りに迷惑かける存在だったら、もしかしたら排除されてしかるべきかもしれない。でもface to faceの関係が築けている仲だからそう簡単に排除はしません。君遅刻しなかったことないけど受け入れているじゃん(笑)(今ホームレスになっているような人の中には、こういったface to faceの関係がたまたまなくって路上にまで転落してしまった人も多くいる。)


ついでに書きますが、富める人も、もしかしたら自分がいく人もの貧者を踏み台にしてその冨を手に入れているのかもしれないのに、無自覚だよね。

奥くんはこんなのしないと思うけど、実際貧困ビジネスってあるし。おおっぴらにも、「コスト削減」して利益を出すために、過酷な労働条件で1日10何時間も働かされて過労死に追い込まれるような人もいる。そういう悪い条件の仕事につくのも自己責任というかもしれないけど、確実にそういった条件の仕事は不当に増えている(=そういった条件の仕事を増やしてまで競争している企業がある。競争にも質ってもんがあるのに。)し、また自分に付加価値をつけて、高付加価値な生産に従事して高い給料をもらえるというのは、本人の努力もあるけど、社会・家庭環境の影響大。なのに恵まれた人ほど、自分の恵まれた環境に無自覚だったりする。(逆に、貧乏の理由を全て環境のせいにするのか?とまた言われそうですが)



うーん、だーっと書いてしまったのでわけわかんなくなっていますが、また気になったところあったらコメントください!


そこそこの働き方について考える
Face book上で面白いやり取りが発生したので、ここに転記して、なおかつ深く考えてみたいと思います。


以下、私の文章。
「女性の社会進出と平行して高まった女性の「癒し」へのニーズをうけ、アロマ等の癒し産業が出てきた。

今後も人をケアする産業が増えると思うが、言い換えるとそれは、「癒し」までもが市場経済にのみ込まれていっているということでは。
別にそれが悪いと言っているのではない。市場原理の中で、働き食べ癒すという一連の行為を完結させたいなら。でも私は、ニーズがあるからやります的な、ホスピタリティ精神気取りの最近の企業の宣伝文句にはなんとなく違和感がある。

だからかもしれない。私は就活があわなくてすぐにやめてしまった。ニーズをキャッチして採算とれるように工夫する…って思考回路、受け入れられなかった。市場でやるべきとはやらなきゃだけど、ある程度生活満たされてんなら働かなきゃいいじゃん、ケアにお金だすまで働くんじゃなく、世の中の労働時間が減ればいいじゃんと思ってしまう。」


次に、ある人からのコメントの趣旨
「普通の人なら、人より金持ちになりたいと思うのでは?
だったら、人より多く働かないといけないし、その為には余計に仕事を産み出さないのだから、そういう世の中の流れは仕方ないのでは?」


誤解の内容に言っておくと、私はこのいただいたコメントを批難するつもりは全くありません。
むしろこういう考え方もあるのかと勉強になったので、とっても感謝しています。

そんな、コメントをくださった人への敬意をこめつつ、私の考えを述べます。


「素直な私の感情としては、金はそんなにいらないからできるだけ働きたくない。どっかの山のふもとでお茶屋さんをやりつつ、最低限稼いだお金で生活必需品を買い、ちょっと食べる分だけ畑でつくる・・・ってのが実は私の理想。人より金持ちになりたい人って、ほんとにそんなにいるのかな?

ニーズをくみ取ってビジネスチャンスにするのは、サービス提供者も受益者も幸せになるけれど、ニーズを無理やり作っている感があるのが気になる。過剰なCMで購買意欲をあおる等。「余計な仕事」だったらやらなくていいじゃんっ...て思う。もっとも私も既に「つくられたニーズ」に満たされていて、例えば高いお金を払って酒を飲むという楽しみに浸ってしまっていますが。」


…とここまで書いて、ちょっと考え直す。

もしくは、こういうことか。


どんなに私がのんびりと、山のふもとでお茶屋さんをやりたいと言っても、隣にもう一軒とっても素敵なお茶屋さんができたら競争しないとこちらの利益がなくなってしまう。

この意味で、人より(他店より)金持ちにならないと、自分のお店に利益がでない、ということにはなる。


そこで私は、新商品を生み出して「新たなニーズを創出し」、こちらにも利益がでるようにする。相手のお店ももちろん同様の手立てで新商品を開発したり、低価格にして「できるだけ安く買いたい」というニーズにこたえようとする。


ここで、徹底的に競争してがむしゃらに働いて大儲けを狙うのか、もしくはお互いの利益が半々くらいにあるところで折り合いをつけ、共存の道を選ぶのかは、選択の問題であろう。


ここで私は後者を選びたい。

これは主観だが、私の中では「人生の40%働いて、40%遊んで、20%で生活の維持をする」というように、自分の時間をかける比率がある。(このパーセンテージは今適当に考えたんだけれど)

働く時間が自分の中で40%を超えてしまうのなら、そこまでして競争したくない。(相手も同じ考えだといいのだが・・・)
その代わりあまり儲けられないが、それで良いと思っている。


もちろん前者を選ぶ人がいてもよいかもしれない。
この人は、「高級な料理を食べる」といった楽しみを得ることができる。
これはこれで非難されるべきことでもなんでもない。

「金儲けに走るやつはいやしい」みたいな価値観も一方であるかもしれないが、そういった道徳的価値観は今回の議論では考慮しない。実際問題、前者を選ぶ人は必ずしも利己的な人ばかりではなく、「高級な料理を周りの人に食べさせてあげたい」とか、「先ずは儲けて、その金を利用して貧しい子どもを救いたい」という思考をもつ人もいる。


※ただ、従来の経済学の考えでは、市場原理ではどこまでも競争することで悪い製品が駆逐されたり、技術革新が起きたりするとしており、結果的に社会全体の幸せ度(=「社会的厚生」といいます)が増すとしている。

つまりナァナァな競争をしていては、当人たちはそこそこ幸せかもしれないが、他の人々にとっては、もし彼らが本気で競争していえば得られただろう利益(めっちゃおいしい新製品を食べられる、同じ商品が低価格で手に入る…等)が得られず、社会的に損だ、ということだ。

しかし現実を見るとどうだろう?人々は働き過ぎて生きることが困難になっていたり、利益を重視するあまり非正規労働者を使ったり。これで社会的厚生が増していると言えるのか?競争するにも限度があったのだ。



結局、人より多く働いて大きな利益を得たり、無理やりニーズをつくってまで商売したりするのか、もしくはある程度の働き方でやめておいてそこそこの利益で満足するのかは、個人の選択の自由なのかも。

その人が何を得たいのか、という基準に基づいた選択。


だが、ここで私が就活で感じた違和感にもどると、


「新たなニーズを発見し、それをビジネスにして、お客様にも満足いただく方法を考える!」ことは絶対的に素晴らしいことで、そのように考えられる人間が「真のビジネスパーソンである!」といった考えが、蔓延していないか?


「そこそこの働きをする」という選択肢は、まったく提示されていない。


わざわざ「アロマ」等の癒しを市場経済部門でまかなわなくても、癒しがそんなに必要ないくらいのレベルに労働時間を短くしてもよいし、市場経済に入っていない部分で癒されてもいいという発想はないのか、と思ってしまった。


何を良しとするのかは、各人の判断や、時代の中で変わってゆくもの。
ただ、今私の周りでは、どちらかといえば「そこそこの働き」を称賛する方が多い。人間や自然の持続可能性の観点などから。
経済学でも、従来の考え方を見直す動きが強まっている。
だからと言って、金持ちを目指す人をすべてバッシングするのも、違うのかな~と思っている。バランスの問題…。


……ゆえに、話は変わるが、私は大学教員になりたいと思っている。

冒頭述べたように、本心では山のふもとで静かに暮らしたいんだが、「そこそこの働き」の良さを自分なりに感じてしまった以上、働きすぎて死にそうになっている現代人とか色々と行き詰っている現代社会そのものを見過ごして、自分だけ「そこそこの働きとそこそこの幸せ」を目指すことができないのだ。自分だけが幸せになるのは申し訳ないみたいな、変な気遣いで、ある意味仕方なく。

なぜ大学教員なのかというと、

1、従来の経済学に対する違和感から、もうちょっと別の経済学をつくりたいと思った。
やはり経済は人の生活に関わるから、どんなに気持ちとしては「そこそこの働き」を求めている人も、就職の段階で今の景気がどうとかこの業績からしてこれだけの売り上げを出さねばわが社はもたないとか、経済理論にのっとって言われると、「そうかなぁ」なんて思ってしまうのでは。

でも本当は、そんな今までの経済学の考えにのっとらなくっても、身の回りにはそこそこやってゆける経済があるんだよ、と伝えたいし、そんな経済を描き出したい。

2、多くの人に、とりわけ若者に、この感覚を伝えたい。
この感覚というのは、今述べたような「そこそこの働きもあり」ということや、経済学でもなんでも、従来の理論をそのまま鵜呑みにするのではなく、自ら社会を見て、自分の目指す生き方を考えて、生きていってほしい、必要があれば従来の理論を組みかえていってほしい、ということだ。


こう考えると、研究もできて教育もできるという大学教員が、私の職業の選択肢の中で今のところ一番希望するものである。



まとまらない話だが、こんなことを考えた夜。









大隈講堂と、裏のねこちゃん



大隈講堂。

不覚にもこれを見て愛校心が芽生えてしまったため、勢いで早稲田グッズのあるショップをのぞく。わあ、マイボトルにまで早稲田のロゴが。ここのグッズをもって明治に行ったら殺されるだろうなぁと想像。そう、大学院は明治なのです。

早稲田ではたいして楽しかった思い出はないけど、ここから色んな人が輩出されたんやなぁと思いを馳せるのは楽しかった。今までありがとう早稲田。さようなら早稲田。あ、まずテストですが。

あと、講堂裏のうっそうとしたあたりにいた猫ちゃん。一定距離より先に近づくとサカサカっと逃げ、またあの均衡距離へ。

なんとなく対象物を中央にしたくなかったのは、対象物が存在する空間を写したかったからだろうか。私はこの時感じた空気を切り取って、残しておきたかったんだ。





日記・寄付についてとか
ううむ?
ブログ閲覧者が最近「微増!」している・・・
ツイッター成果かなぁ?

しかしツイッターとブログの使い分けがまだつかめないです。ここのとこはテスト勉強ばっかでPCに向かって記事を書くコンディションじゃなかったんで、思ったことはツイッターでぱっとつぶやいてまあいいか~という感じでした。

ツイッターだと言いたいことのポイントしか言えないから結構書きたいことはたまっているんだけど、今はひとまず左のついーとをみてください笑

でも日頃のご愛顧に感謝し今日はちょっとだけ更新。


まずは、うわさのKURUTOGAです。




書きながらペン先がちょっとづつまわって、ずっと先が尖った状態で書けるシャーペン。

いいよやっぱ!常にシャープな書き味でサクサク書けます!
ただノック(芯を出すために押すこと)がちょっと重いですね。慣れれば気にならないかなぁ。

ちなみにこれは800円弱。持ち手の部分がちょっといいヤツにしてみました。ずっと書き続けるにはちょっと太めが好みなのです。

一番ベーシックなのは500円弱ぐらい、もっと高いのだと1000円近くするのもあります。

写真にうっすら見える、渦巻きもようみたいのが、KURUTOGAの目印です。

シャーペンに800円…高いなとは思いましたが、筆記用具は仕事道具!と思って買いました。毎日使うもんやし、ちっちゃい投資やね。

******************

投資という言葉から連想して、「寄付」の話題。

最近は新しい公共関連で、NPOを支援するような法案とか、寄付税制のこととか、かなり盛り上がっているようです。ツイッター等で関係者の方の情報を見ていると、アツさがものすごく伝わってきます。

法律を通すって、大変なことやなぁ・・・いくつもの会議を経たり、政党まわりしたり・・・。


ですが今はとにかく自分の進路の為にテスト勉強に集中したいので、あまりフォローできていないのが歯がゆいところ。テスト終わったらがっつり調べよ。


ところで寄付、皆さんしていますか??


知人から教えていただいた「毎日かあさん」の記事を読んだので、寄付について考えてしまいました。
「寄付をする人の気持ち」がまとまっています。もちろん一部の人の声ではありますが、それぞれの方の寄付への考え方が見えて面白い。微妙なところでスタンスが違ったり。
http://mainichi.jp/life/kaasanchi/bbs/2011/01/4455.html


上記記事では、「引き落とし」形式で寄付を集めてくれたらいいのに…という声がいくつかありましたね。

確かに、寄付したい団体が決まっている人にとってはラクでいいですね。

でも「何でもいいから社会に役立つことにつかって欲しい!」という人からの引き落としは、確かにお金は集まるけど、その寄付者に団体の活動を理解していただいたり、社会の問題に目を向けていただくきっかけを失わせることになるかも、しれないですね。

社会に目を向け、自ら判断し、行動する人を今後増やしてゆきたいのだとしたら、目標額を集めるだけではダメかもしれないですね。

まあ、あれもダメこれもダメなんかいっていてもはじまらないので、とりあえずやりやすいという声のあるところから始めるのも手かもしれません。

少なくとも、「自分の為以外にもお金をつかいたい」と思える心の余裕がもてるってのは、素敵ですね。
そういった「心の余裕」の前提には、最低限自分の生活が成り立っているということが必要だと思いますので、この心の余裕を単に「思いやり」といった言葉で安易にまとめたくはないですね。


**************

かく言う自分は?


寄付、私はこれといってしてないなぁ。。。特定の問題に思い入れを強くもつタイプでないこともあって、かな。

無償労働はたくさんしてるけど笑。社会貢献の為というより、自分のやりたい事が一般的に社会貢献と言われることに近かったから、結果的に社会貢献っぽい無償労働はたくさん引き受けています。

あ、でも色々展覧会とかフォーラムとか行ったときに寄付箱があると、「この活動は頑張ってほしい!」と思った時には心ばかり入れます。いいものを見せてもらった感謝の気持ちを込めて。


あと、NPO団体や市民活動センター等が出している冊子は、よいなと思ったら結構買います。
これは自分の勉強のためという意味もありますが、正直知り合いから該当ページをコピーさせてもらうことはいくらでもできます。でも冊子の売り上げがその団体の利益になることを願って、できるだけ買います。そんなに高くなかったら。

大阪ボランティア協会の「Volo」は、まだまだ年間購読中です。ビックイッシューもたまに買うかな。あれ普通に面白いんよね。300円でいいの?ってくらい。



こう考えると、やはり目に見えて自分の利益にもなって、団体の利益にもなる、というものには、お金を出しているように思います。

団体に直接寄付っていうのは、やはりなかなか勇気がいるかもしれませんね。そのお金がどのように使われるのかが、よほどクリアに見えないと。



ツイッターでもちょっとつぶやきましたが、寄付だけでなく税金も、きちんと自分の意思を持って払いたい・多くの人に意思をもって払ってもらいたい、などと思い始めておりますが、この話はまたいつか。


*************

おお、やっぱり書き始めたら長くなった!
やばい!勉強しよー。今日は一日こもって勉強してました。幸せ・・・笑

色々勉強したいことがあると興味が拡散して、どれも中途半端になりがちなので、こうやって半強制的に特定の事だけ勉強する時間が持てるのは、とっても貴重です。1つ何かを突き抜けると何かしら、新しい見え方ががつかめるからです。

とまじめそうな事を書いていますが、遊びたい気持ちももちろんあります笑
今やりたいことは、原宿でクレープ買って明治神宮いくあたりの橋らへんで道行く人を眺めながら食べ、裏原を散歩することです。裏原は割と好きです。若者の独特のコミュニティーが成り立っているのを愛でるのも良いです。


第10回あずまや寄り合い報告&次回案内
なんだか最近こまぎれ更新ですんません~
テスト勉強にいそしんでおります~
あと肌と髪の乾燥がやばいのでめずらしくお肌のケアとか真剣に考えてます~

さて!1月15日に実施したNPOの勉強会「NPO study groupあずまや」の寄り合いの様子をブログにアップしたのでご覧あれ!

http://ameblo.jp/npostudygroupazumaya/entry-10770528463.html

なんか長くなってしまった(笑)こんなのずっとやってたらもたんわー。分担ちゃんときめよー。

あと次回のあずまや寄り合い日程です。
【あずまや第11回寄り合い】
日時:2月2日18:30~
場所:東京ボランティア・市民活動センター(飯田橋)*今回と同じ。
内容:『日本のNPO史』第5章 

☆参加希望の方は下記連絡先までお気軽にご連絡ください!
npostudygroupazumaya@gmail.com


ってかこないだ、一体今まで何回勉強会を開催したのか数えたら、前回の1月15日で10回目だった!!
プラス、朝活2回と、ボウリング大会出場というイベント1回です。

去年の8月から、ずっとやってきたねんな~と思ったらちょっと感動。

素敵な仲間達に恵まれて、ホントに感謝だわ~。
ホント、私だけじゃここまで真剣にできなかっただろうな。。とにかく「やってみようよ!」っていうモチベーションが高いメンバー、統率力がない私をちょっとした時に支えてくれるメンバー。。。。

お互い専門ややっている活動が違うから、勉強会を実際に開催してどんどん考えが深まるのは勿論のこと。
たとえレアキャラ化してしまった人も、ふっと顔出してくれると嬉しいもんです。

ホントにみんな、ありがとうね。



また、こないだ新しく来てくれた方に勉強会終了後、「初めてなのに昔からいたような馴染みっぷりだったね」とメールしたら、(実際すごい自然な馴染みっぷりだった。)

「みなさん話しやすい人ばっかりだったから、自然とああなってしまいました~」とのお返事。

嬉しかったなぁ。

この雰囲気は、大事にしたいな。

まさに「あずまや」的。あずまやって名前は完全にノリでつけたけど、けっこうしっくりきている。

このまま、来る者こばまず去らずにゆるゆる!で行きましょう笑



日記

今日の昼食べたカレー。

ツイッターに写真載せるつもりが載らなかったので、せっかくだからここに。

うまかった~


今日は家を出るはずの時間に目覚め、バタバタ。

授業行って、テスト勉強して、夜はNPOの勉強会「あずまや」

新規参加2名!!

やほーい。調子に乗って夜遅くなってしまったが、最近乾燥で喉も肌もヤバいので、気をつけよ…勉強会も風邪ひきいたし。





ソーシャルメディアについて思う
ふと思ったこと。

ソーシャルメディアの発達で色々な人と繋がれるようになったが、必ずしも「多様な人」と繋がった訳ではない。

むしろ自分に似たライフスタイル、考えの人とばかり繋がり、同質性の中で凝り固まる危険性もある。


例えばホームレス支援関連で思った。

一般に言われる「社会のセーフティネットからこぼれおちてしまった人たち」のコミュニティに接してみると、自分が当たり前に思っていたことが共通認識にされていなかったり、私からしたら普通じゃないと思える考え方が普通だったり。

これは必ずしも悪い意味じゃない。例えば、お互いに助け合うという姿勢は私たちより強いかもしれない。
これは、少し足の悪い方がふらついて他の人がさっと支えにいった様子をみて、思った。私は気づくのが遅くって何も動けなかった。

こぼれおちた・・・というより、社会のマジョリティに排除されることによって色々と不便な立場に立たされているが、彼らは彼らの中で社会があるんだよね、という印象。
私が常識と考えている社会だけが唯一無二じゃないんだ。

自分が見えている世界は想像以上に狭いのだ、と肝に銘じたい。


一方で、同質性をもった人が固まることで、少数意見が可視化されるということもある。
ソーシャルメディアを用いて、些細な事でも発信し、共感した人がつながってゆくことは、市民活動の強まりに繋がり、多様な人々が生きやすい社会をつくる源泉となる。


ソーシャルメディアの作った世界の中に閉じこもって、同質性を持つ人とばかり会話をしていたのでは、知らないうちに自分の生きている社会の土台が、どっかの誰かの都合のよいように作りかえられてしまいそう。


やっぱり私は、「社会の中での自分の立ち位置」とか「自分が今いる社会とは?他の社会のあり方は?」とか、考えてしまうなぁ。


ちなみに、「メディア」ってのはあくまで情報媒体。ソーシャルメディアってのは一人一人の情報発信によって生み出されるメディア。双方向のやり取りを可視化できるのがいい・・・らしい。けど、リアルな社会を無視したら意味ないぜよ。リアルに食べて飲んで生きている自分がいて、ソーシャルメディア社会も成り立っているわけだし。


Twitter連動~
とりあえず、左にツイッターと連動したやつのっけることに成功。

しかしFlash?のだとうまくいかず(すんごい下の方にずれて表記されてしまう)、しかたないのでHTML版。ちょっと見にくくって残念!


ついったーとふぇいすぶっく
かなり遅ればせな感じですが、最近ようやっとツイッターでつぶやき始めています。

@micchiyoって名前?でやっているのでよろしければフォローしてください。

あとfecebookも、登録だけして人の近況をみているだけですが、一応やっています。

imai michiyoで探せばでるかな、たぶん。お好み焼きを焼いている写真です。


ちなみにmichiyo imaiと姓と名を逆にしなかったのは、日本人なんだから日本語表記の順番のまま名前を書いて何が悪い!という妙な反抗心からです。私たちが、外国では名が前に来ると知っているように、日本では姓が前なんだよと外国の方にしっていただきたいと願っています。いやそこまで深刻に願っているわけでもないですがなんとなく。

ブログとツイッターを連動させたいのだけどよくわかんない。fc2ブログではできないのかなー?fc2を使っている人になかなか出会わないので聞けません。あとツイッターとfacebookも連動できるんよね・・・?


あずまやブログ更新
NPO study group"あずまや"のブログ、更新しました。

1月6日の朝@三鷹で行った、しこみ(朝活情報交換会)について

http://ameblo.jp/npostudygroupazumaya/entry-10763053180.html


NPO/NGO杯ボウリング大会!!!
NPO/NGO杯ボウリング大会!!!


に参加した!!

http://ameblo.jp/npongobowling/

この大会は、NPO・NGO関係者が80人~多いときは100人程度あつまるボウリング大会★

今年は80人くらいやったんかな?

団体ごとにチームを組んで、競います。本当の団体でなくても即席チームでもOKらしい。


私たちは、NPO study group"あずまや”メンツででました!


でもレーンでは、各チームの人がバラバラになるように設定されるので、色んな団体の人と和気藹々しながらプレイできるのです。


たのしかったーーーーー!!!!


1つ強く残った印象。

とにかく色んな団体があるってこと。

本当のNPO/NGO団体ということでなく、例えば

・NPO/NGOで働くスタッフが、「俺達このままで本当に持続可能な働き方ができるのかな?ちょっと環境を変えないとまずいんじゃない?」という問題意識の元あつまったグループ
⇒GRASS


・企業や財団の社会貢献部の方が集ったグループ
⇒社貢担


・(ごめんなさい説明聞きそびれたけど・・・)現在のNPOを引っ張っているような方々がさらに世の中に物申す感じのグループ

・そして私たち、NPOに関わる学生の勉強会グループ


こうして、同じ問題意識を抱えた人たちが一緒になって何かやるってのは、とってもよいこと。

日本の市民社会度がアップしているのを感じて、ワクワクした!!

こういった動きに参加できず、1人でもやもやしている人がいたら、是非アクションをおこしてみて~といいたい。サポートもしたい。



またこの件については、あずまやブログに書きます。

とりあえず今から、長唄の新年会でお手伝い&演奏しに行くので、とりいそぎ!!

ボウリングで痛めないか心配でしたが無事だったので、安心して吾妻八景が弾けます


正月のおもちゃ売り場
小さいことですが、
せっかくPCを触っているので今日の小話。



今日、近所のイトー〇ーカドーの文具売り場に行きました。

文具売り場のレジは、隣のおもちゃ売り場と一緒なので、お年玉を握り締めているとおぼしき子ども達で大混雑!!!


あー私もこんな時あったなーーー。おじいちゃんとかおとうさんと一緒になんか買いに連れて行ってもらたなーーとしみじみしつつ、私はオトナの用事で買い物があったので、品物を選びレジに並ぶ。

長蛇の列に耐え抜き、やっと私の番と思ったその時!

ちいさい坊やが割り込み強引に品物をレジの上に置いた!!!


まぁ小さい子のやることだし、実際あの微妙な空きスペースは次に人が並んでいると認識しにくい感じだったし、別にその子を先にレジしていただいても全然よかったんですが、

まだ若い女性の店員さん、きちんと

「みんなならんでるからね。お兄ちゃんもあっちに並んでからね」

と諭して、並ばせておりました。



店員さん、えらい!!!!!

並んでいる時は、そうやってきちんと声をかけることもめんどさくって、いっそ気づかないフリして機械的にレジを打っていた方が楽だと、私はすき家的経験から思うのですが、


子どもだからってスルーせず、きちんと対応しておりました。

当たり前の対応だけど、まあいいか~となりがちですが、

やっぱり大人がきちんと対応する姿は、子どもにもよい。

その坊やも素直にしたがっていました。

ちなみにその店員さんは、うざそうなガキ(お札をくちゃくちゃの状態でだしたり、アレないのこれないの?ときいてきたり、友だちとくっちゃべっていて中々お金を出さなかったり・・・笑)にも、


丁寧に対応しておりました。




いやぁ、正月らしいことは何もしておりませんでしたが、

こうやって子どもの集団を見るのも正月ならでは。


そんな正月ならではの光景のなかで、ちょっと心がほっこりできました=


「あずまや」次回日程のご案内
私たちの、NPOに関する勉強会グループ、「NPO study group"あずまや"」の広報文&次回日程のご案内ができたのでご紹介します!!!

お知り合いの方にバンバン転送してたも。

ちなみにあずまやブログもできたんで、まだ内容はほとんど書いていませんが、一応ブックマークしといてください。http://ameblo.jp/npostudygroupazumaya/



(以下)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
「NPO study group"あずまや"」

あずまや。それは、空間を生み出すための空間。

ふらりと人々が集い、紡ぎあい、時に何かが動き出す。

そしていつまでも、時の流れを見守っている。


【About us】
私達は、NPO(ないしはNGO)の活動に何らかの形で関わる若者同士
の勉強会です。

ふだん活動しているだけでは見えてこない、「NPOは社会の中でどんな
立ち位置にあるのか」「どんな経緯で生まれてきたのか」といったことを
改めて確認する事で、NPOセクターのあり方を長い目で模索してゆくこ
とを目的としています。

現在は文献を輪読する中で基礎知識を深めていますが、今後は現代日本に
NPOの土台を築いてきた方々へのヒアリングや、活動の現場へのフィール
ドワーク等も考えています。

また、様々なNPOで活動している若者同士のゆるやかな情報交換の場も
目指しています。
(現コアメンバーは6人程度。2週間に1回程度開催中。)


【あずまや的用語集】
寄り合い…活動のコアとなる勉強会のこと。
しこみ…最近流行りの朝活のこと。NPO等の活動をする若者同士の、特に
    テーマを決めない緩やかな情報交換の場。
慰安旅行…フィールドワークのこと。
祭…交流を深める楽しいイベントのこと。


【次回寄り合い(勉強会)日程】
日時:1月15日18:00~
場所:秋葉原か飯田橋で調整中
内容:『日本のNPO史』(今田忠編著 ぎょうせい)
    第4章・・・終戦から高度経済成長の始まりにおける市民活動の高ま
   りについて


【次回しこみ(朝活)日程】
日時:1月6日7:30~
集合:7:30に三鷹駅集合
内容:普段の活動の情報交換など。前回の宿題(NPO税制改革)について
 情報共有。


*少しでも関心があるという方、1回だけのお試し参加も大歓迎です。今回
 は参加できないが情報だけ欲しいという方も、お気軽に下記連絡先までご
 連絡ください。
【質問・連絡先】
NPO study group"あずまや"代表
今井迪代(早稲田大学4年)
michiyo-horizon@hotmail.co.jp

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
(以上)


はっ!思考停止!!!
やばいなんかここ数日思考停止してた!!!!

学連の演奏会終わって、演奏のできが納得いかなくって、打ち上げ後も別の場所で土ぐもメンバーで飲んで(飲んだやつが前回の日記の写真)、で遅くなっちゃったし寂しくなっちゃったからカラオケでオールして帰ってきてから、なんかあかんようになったんやった。

しかも上記の状況で、色々考えることがあってブログに半分くらいまで書いたのに消えて、げんなりしたんやった。

でもたった今、溜まったメールをエイヤっと返信し、一時的に気持ちを取り戻しました。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。


・・・・
んーーー新年だからって、とり立てて書くこともなし・・・
今日も朝からバイト、明日もだし・・・。

今度もう少し爽やかな気分の時に、きちんとお世話になった人のことを思い浮かべつつ、仕切りなおそうっと。


まず大晦日に『ノルウェイの森』観にいっちゃった時点で、新年爽やかじゃない笑
普段映画なんか見ないのに、どういうわけか数日前から心惹かれてて、行ってしまった。

見てすぐは、「ふーーーん」って感じだったんだけど、帰りの電車の中で色々と反芻してしまった。。
まあ、そういうのを求めている心境だったのだろう。


つい数時間前に書いた文章、これもまた私の真実だと思うんでのせとこっと。



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