俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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夢の、夢のなかです・・・
鋭い方はお気づきかな?

おいらまたもや悩み中ー。

私なにやればいいんだろー。将来本当に食べていけるのかなー。

最近は、三味線とか唄とかをやって生きていけないか・・・っていう想いが、ぶり返し中です。

恥ずかしくて人には言えませんが。面と向かって誰かに言ったことありませんが。


もともと、なにか表現してみたい、それが仕事になったら最高だなーって想いは、実はありました。

たぶん、小さいときから。

でもなんとなく、その世界の厳しさを知り、その思いに蓋をしてしまっていて。

さらに、社会的なことにも目が行っちゃうから、「表現とか言う前に目の前の人を助けなきゃ」っていう思いもあり。



最近、長唄の演奏会前で練習してて、いろいろ試行錯誤してるうちに、また表現欲求がぶり返したんだろうな。

冒頭で、「三味線や唄で・・・」って書いたのは、それが私の今唯一できる表現方法だからです。

詩や小説は挫折しちゃったし。

ダンスはいまさら体動かないし。ってか特別私が上手いわけじゃ全然ないし。

ピアノやギターも、自在に操れるレベルになんかならないうちにやめちゃったし。

たまたま、手元にあるのが三味線・唄ってだけです。



っていっても別に、長唄のプロになりたいといってるわけじゃないです。たぶん。あの世界とはちょっと違う気がする。


====================

でも正直・・・いやホント思い違いかも知れませんが・・・私も頑張れば長唄でプロになれるんじゃないかと思ってます・・・。

うーん、世界がもっと平和で、周囲に目が言っちゃう私の気をそらすような理不尽な出来事(=解決しなきゃ!って思っちゃう。)が社会になければ、プロになってもよかったかも・・・・


いやホント私なんか現時点ではたいしたことないけど・・・でも唄は、周りの評判を見ているとどうやら私は初心者にしては上手いらしいし・・・(三味線は真剣にやり始めたの最近なのでよくわからん)

私自身、長唄は私の得意分野であると感じてます。また、人の唄ってる様子を見たり聴いたりして盗むのも得意なので、

【得意分野としての長唄×盗む技術×私の性格としてのストイックさ】

があいまって、結構いけると思います。


ストイックという点では、長唄で言えば、「こう表現したい」「もっとこうしたい」という想いが生まれてくると、何時間でも練習できると思うってことかな・・・

・・・まぁ現時点では、「他にやることあるから・・・」って気が散って(悪く言えば自分に言い訳して)、そこまで、一日中こもって練習とかしてませんが・・・

プロだったらストイックにやるのは当たり前です。でも私ストイックなの苦にならんのじゃないかしら。




現実問題、プロの世界は、たぶん実力以外のところで苦労することも多いのだろうし、プロの土俵に上がるまでの自己投資が莫大な金額になるんじゃないかと思うし。。。

何よりプロの世界、よくわからん!!って時点でダメかな。だってわからないんだもん。なんか人にも聞きにくいし。そう簡単に教えてくれないし。


===============

あ、でも、ホント、長唄の「○○会」みたいなのに入って、そこで修行しつつそこの演奏会に出て・・・って言うのは別にやりたくない。

ほんとにすごい人は、1つの舞台で一体いくらもらえるのか、想像できませんが・・・


長唄の「プロ」と呼ばれる人でも、たいしたことない人もいるなぁって、思ってます。

いつぞやの、ある演奏会で、つまんない唄ばっかり聴かされた感が、正直あった。。。。

国立大劇場の舞台だったんですがね。。。。

プロといってもまだ出たての人達かと思いきや、どうやらそういう人ばかりではなさそうだった。



何がたいしたことないかって?


一体何をどう表現したいのか、全く伝わってこないんだよ!!!!!!!

書いてたらムカついてきた!そんな、口先だけの唄で、舞台のるんじゃねぇ!!!!!!ごまかすな!!!!!



・・・・・・すみません、ほんと出すぎたことを言っていたらすみません。

技術のことはよくわからないし、その舞台に乗ってる人がいったいどんな苦労を重ねてここまで来たのかも知らないけど・・・

でも、アレを見て、「あんなのに唄わせるくらいなら、私が修行してプロになりたい」って初めて思ったなぁ・・・。


にしても、ほんとに世襲だけで舞台にのってんのか・・・?大丈夫なのか長唄界・・・?


===============

今、長唄に魅力はあるんでしょうか?

今、本当に私達の胸を打つような長唄があるんでしょうか?もしくは、そういう長唄をやっている人がいるんでしょうか?

勿論、新しい長唄も出てきているし、しっかりやっている人もいると思います。勉強不足で、「この人ばすごい!!」って名前は出てこないけど、でも演奏会やランダムに聞いたCDから、「おっ」と思う人はいる。


でもさ、演奏会行っても、ほとんどおじいちゃんおばあちゃんなんだよね。

なんか、演奏がすばらしいから行っているというより、「昔から聴いているもの」として聴きにいっているような気がする。。。。私のわからないレベルで、「すごい人」というのはどうやらいるみたいだけどさ。


長唄が
子どもにウケるとき・・・ものめずらしさによって
若者にウケるとき・・・斬新さによって
お年寄りにウケるとき・・・懐かしさによって

という構図を私は感じてしまう。


音楽って、そんなもんかな?

とりあえず、もう時代の流れで、日常で長唄に接するということはないので、「生活の一部としての音楽」という意味での長唄はないと思う。


じゃあ、他の音楽の役割は?
私達の「心の代弁」、癒しや元気を与えてくれる「心のスイッチ機能」・・・

そこらへんの音楽の役割を長唄に当てはめると、、、、うん、これは、ある!

長唄に出てくる、愛する人を待つ心情だとか、季節をめでる気持ちだとかに、「これわかるわー!」って思ったり、

疲れてるときにゆったりとした曲を聴いたり、逆に激しい曲を聴いて元気を出したり、するもん!


ってか長唄って、音楽だけじゃないか。物語を描いていて、どちらかといえばミュージカルみたいなエンターテイメント要素もあるなぁ。


===================
。。。長唄分析は、まぁいいや。長くなる。


だからまぁ、つまりですね、長唄をほんとに追求して、心を無条件に打つような人が、いなくなってきてるんじゃねぇかってことさ。んでそんな感じになってしまっている長唄界には別に入りたくないってことさ。

逆にアマチュアで趣味としてやってる人のほうが味があることもあるしなぁ。

なんなの?プロって?



っていや、プロの技がわからないニブい女ってわけじゃありませんぜ。

長唄以外の音楽(勿論長唄でも)で、「これはプロの世界だ!」って思うことはあります。

なんつーか、技術云々じゃなくて、世界観が違う。気迫が違う。「これにかけていてこれに全てをつぎ込みました!」って言うのがわかる。


================

プロがプロとして、生きていくということは・・・

生きていけるということは・・・・



そのプロの技を求めている人が、世の中にいるってことだよね。

「自分がやりたいから」っていう理由だけでは、やっていけない。


ここで言うプロって、まとめると「表現界」のプロってことだろうけど、

「表現界」という、一見自由でクリエイティブな世界にも、しっかり需要と供給があるんじゃないか?


自分の「こう表現したい!」という想いと、「こういう表現が欲しい!」っていう社会の欲求があって初めて、プロが存在しえるんだよね・・・。



好き勝手じゃ、生きていけない。
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長文読んでくれた方、ありがとうございます。

長唄関係の方・・・好き勝手書いてごめんなさい。おこらないでね。
ふつーの方(笑)・・・いつの間にか意味不明な長唄談義になってしまっててすみません。

文はまとまってないけど、頭はちょっとすっきり。

書くっていいね。

それを読んでくれる人がいるって、もっといいね。
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こんばんは~
ちょっと気になったのでコメント。

>「表現界」という、一見自由でクリエイティブな世界にも、しっかり需要と供給があるんじゃないか?

たぶんなんですが、
受け手に明確な需要(「これが欲しい!」)があるわけではなく、
送り手の作ったモノに反応して需要が生まれる
(「こんなのが欲しかった!」)ということなのかなと思います。

ピカソの絵も、ピカソがあんな絵を描くまで
おそらく誰も想像すらしなかったでしょう。

おそらく世に「天才」と呼ばれる人たちは
普通の人が意識してないような「欲求」を
掘り起こしてしまうような人たちなんでしょうね。


これも個人的な考えだけど、
いわゆるプロの人たちって、
自分の好きなこと、得意なことを仕事にするために
半ば無理やり他人に自分の価値を認めさせた人たち
と言えなくもないような気がします。。。

スポーツにしろ、芸術にしろ、ビジネスにしろ、
世の中が価値を認めるまでがんばれるかどうかが
プロとアマの境目なのかもしれません。


それにしても長唄、奥が深い・・・
一度しっかり聞いてみたいですw
やまピー@1212 | URL | 2009/05/06/Wed 23:32 [EDIT]
>やまピーさん

返事遅くなってごめんなさい!いつもコメントしてくれて嬉しいですi-185

> 送り手の作ったモノに反応して需要が生まれる
あ、そうでしょうね。「需要と供給」だと語弊があったみたいでごめんなさい。

どういうわけか、需要を嗅ぎ取ってしまうアーティストがいるみたいなんですよねー。もちろんアーティスト本人は、「これが必要とされてる!」とは思っていないみたいですが、どこか人より感覚が優れているというか。

例えば、今の社会の閉塞感を嗅ぎ取って、っていうか本人自身が一番閉塞感を感じて歌をつくったら、多くの人の共感をよんだ、っていう流れで。


> 世の中が価値を認めるまでがんばれるかどうかが
> プロとアマの境目なのかもしれません。
おお!なるほど!!

これは私の考えですが、世の中が価値を認めなさそうなことだって、結局人間がやってることなんだから、突き詰めれば何かしら響く人・ものがありそうだなぁって思います!


長唄ですか?
ひとまず5月17日と6月1日と6月27日に、私達は演奏会がありますよん☆
プロの演奏会招待券も時々手に入るんで、よかったらどうぞ(笑)


micchiyo | URL | 2009/05/08/Fri 23:29 [EDIT]



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