俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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アカデミック&福祉&日記
今日もまた早田ゼミに行った。なんだかアカデミックな会話ができてうれしかった。

現実から理論構築するだけじゃ意味ないのはわかってたけど、それをやるのが学問だと思っていた。それを実践するのは別のところでやるものかと。

でも、理論を実践して再構築していくのも学問なんね。応用社会科学。

実践して、既存の理論をぶち壊して、また理論作って、実践して・・・・

一見意味のないスパイラル。

でもこうやって、今までちょっとずつ知が構築されてきたのだと思う。

もっとも誤った知によって人間がいけない方向に走ってしまうこともあるけれども。


私はやっぱ、もうちょっと勉強したい。

勉強すき。


もちろん実践もしたい。あたりまえじゃんその為の勉強だ。


で勉強するにあたって、自分の学問分野が他の学問、いや世界の中でどういう位置づけにあるのか知りたい。


全体の中の位置づけがわからないと、不安になる。


世界は広い。


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ちなみに、日本の学問体系はおかしいんだって。

ちゃんとした学問体系知りたかったら、英語で。

オックスフォードとかハーバードの学部体系でも見てみろってさ。



社会科学といったときに、まず人類学と認知工学とかやらないで、経済とか政治ばっかりやっているのはおかしいって。

つまり私の学部の体系はおかしいってことか・・・


なんだか難しげな名称書きましたけど、

なんてことない。もっと人間をみろってことですね。


経済だって政治だって、私達人間をきていする、ほんの一部でしかない。

一部でしかあってはならない。それが支配してはならない。



といいつつ私は経済系をこれまで学んできたので、経済の思考法がちょびっとだけ頭にある。

逆に今私は、経済学の限界を知りたい。


そこで今面白いと思っている本、
「スモール イズ ビューティフル ~人間中心の経済学~」
E.F.シューマッハー


おもしろいよ。1986年出版の本なのに、今の社会状態を指摘している。


特に面白いのは、仏教経済学の章。

現代経済学では、いかに効率よくたくさん生産して、湧き出てくる欲を満たすか。が大切。

仏教経済学では、いかに消費を抑えて幸せを最大にするか。が大切。


いくら生産しても収まることのない欲望。

それならば、欲を抑える中で最大限幸せになったほうが効率的だ、と。


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話は変わる。

成熟社会とは。

もうこれ以上経済的には成長しなくなった時に、

いかに幸福を追求するか。

その状態でも幸福を追求できるのが、成熟し社会。なのかな。

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あ、今日の夜は地域福祉勉強会。

面白い話が聞けた。

「福祉」ってどういう意味でしょう?



・・・・困ってる人を助けるとか??



・・・・介護とか????





まぁそれもそうかもだけど、

本当の意味は、幸福。


福祉=幸福。


じゃあ幸福実現党は福祉実現党??


「福祉な状態」っていったら、幸福な状態ってことかな?




ひとまず福祉を学ぶということは、いかに皆が幸せを追求できるようにするいうこと。らしい。





一緒に勉強してる福祉系の大学生の声。

「福祉系の大学行っているというと、いっつも「えらいね~」って言われる。それが嫌。」

「あと福祉系というだけで、「介護士になるの?」って言われる。いや違うから、ってかんじ。」

福祉には、高齢者介護も勿論含まれるけど、ソーシャルワークもめっちゃ大切ってこと、ほとんど知られていないみたい。


そういう私も、ついこの間まで福祉って心優しい人がやるもの、って思ってたけど。


経済だって政治だって、人間の幸福を考えている以上、「福祉」なんだね。




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日記。

今日は長唄の先生宅に、友達を連れて行った。

なんとなんと、長唄を習いたいんだって!!!!!

一緒に行ったカラオケで、私が長唄交じりの歌を歌ったら(無意識)、惹かれたらしい。


よかった。なんだかお互いにとってよい出会いだった感じで、よかった。


ついでに、私まで「お前もちゃんと稽古しろ~」みたいに言われてしまった。

学生だから、おカネは要らないから、いつでも遠慮することなく来いよって。


これは素晴らしいことだ。


通常信じられないことだ。



「お前もようやくわかってきたみたいだからな~」っておっしゃってくれた。

勿論わかってなんかいないが、確かに今まで自分なりにまじめに長唄やってきた。

ちょっとずつ、わかってきた感覚もある。


しかし先生が一瞬もらした「いざとなったら・・・」という言葉、どういう意味だろうか?


今年後期は、できるだけ長唄をやらないと決めているが、

このままだと、ちょいと先生宅に通うことになってしまうかも。


どうしたものか。


先生はすばらしい方である。

長唄の技術、長唄界の位置的にも、こんなに近く接してよいのかわからない。

そしてそれだけじゃない。人間としてすばらしい。

全てを察してくれる。お忙しいはずなのに余裕がある。



だからこそ心がゆれる。どうしたものか。

定演終わってから、全く長唄を聴かず練習せず・・・を貫いているが、

不思議なもので、そういう風にしてから3日くらいで、ふとした瞬間に頭に長唄が流れている状態になるようになった。

ふと、長唄を口ずさんでしまう。

2年半の刷り込みは怖いな。


しかしお稽古やり始めると、大変なんだよな。ついやってしまう。


まぁ・・・・・・・・・・・・・ぼちぼち行こう。



最近めっちゃバンドやりたい。

私の唄い方が生かせるような曲(沖縄系みたいな?)を、長唄でないかたちで唄いたい。

ライブとかしてみたいなーーーーー。

ギターまた練習しようかなーーーー。


あ、今日であった、早田ゼミの、大学院進学を目指している女の子が、めっちゃ印象的だった。

ステキだ。
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