俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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フィランソロキャピタリズム
最近の気になるワード。

「フィランソロキャピタリズム」


なんでも、企業が利益の追求だけするんじゃなくって、もっと社会にいいことしましょうよ!
でも今までのように寄付して終わりじゃなくって、ビジネス手法を取り入れて社会課題の解決をしましょうよ!
効果測定なんかも、ビジネス手法をどんどん取り入れてみましょうよ!


っていうながれを、「フィランソロフィー」と「キャピタリズム」の造語で表したらしい。


参考。
http://www.csonj.org/publication/global/001.html



フィランソロキャピタリズムの流れ、確実にありますが、
上記のCSOネットワークHP中の

「 「金にモノを言わせて」悪いことをしようというのではないからいいではないか、とは単純には割り切れない。 スーパーリッチが、独自の価値観と達成志向をもって、政府や国際機関と同等の力をもちつつグローバルな課題に取り組むのを、私たちは諸手をあげて歓迎すべきなのだろうか。 」


にまことに共感。





今までも、アメリカとかの大金持ちが、自分の財産を「途上国のエイズ対策に!」とか「恵まれない子供教育支援に!」とか一定の目的に沿った形でつかったり、その目的に沿った財団を設立するなどしてきましたが、


なんとなく違和感があった。



その人の認識した問題以外の社会課題はどーするんじゃ?っていう違和感。




お金持ちが何か社会貢献に目覚めて、そういう方向にお金を使ってくれるのはとっても嬉しいんだけれど、、


たまたまそのお金持ちの視野に入った問題「だけ」にしか支援の手が行かないってことになる。




しかも、「フィランソロキャピタリズム」の流れを形成する「スーパーリッチ」ってのは、従来の資本主義社会で勝ち抜いてきた人たち。

その人たちの価値観で気になったところを、その人たちのやり方でなんとかしちゃおうってもの。

・・・こわっ!金持ちがますます世界を凌駕するってこと?!




それだったら、社会課題の解決の為の資金投入は、社会課題解決のプロに任せた方がいいと思うんだよな。

つまり、どうせお金があるなら助成財団をつくって、世の中の社会課題を熟知したプロ(=プログラムオフィサー)が中心となってその資金を使う。





もちろんすべてを「プロ任せ」にするんじゃなくって、一人ひとりが社会課題に敏感になって、なんか「これは問題だ!」ってことを感じたらその都度声をあげるなり行動するなりすることが、大事。




(そういった声がなければ、社会問題解決の「プロ」もその課題に気づけないし。)





「フィランソロキャピタリズム」という言葉が、利益追求だけがすべてじゃないっていう価値観の変化の象徴とになってその変化を推し進めてくれるのはありがたいんだけれど、



あくまで今の時代の「象徴」。



次々にわき出てくる社会課題に、どんどん対処できる「運動性」を、社会で保ち続ける力はないだろうな。




=============
ところで私がこの言葉を知ったのは、

最近NPO関連の某学会の会議のお手伝いをさせてもらっているから。


NPO関係の研究者の、最新の議論が聞けておもしろい。


特に、日常なんとなく感じていることが、研究者の付与したコトバによって整理される場面もあり「なるほど!」って思うことしばしば。

まぁ一方的に一般化されて整理されるから危険でもあるけど。



しかし、こうやって議論を聞いているだけで、


自分が現場に行って感じたり、自分で議論したりする時間を持たないから、ほんっと頭がゆるゆるです。





まずいなぁ。


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