俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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終戦記念日
昨日8月15日は、終戦記念日でしたね。

ところで終戦記念日って「記念」って言うくらいだからめでたいのかな?


まぁ、厳しい厳しい戦争がやっと終わったんだからめでたいのかもしれないけど・・・全然めでたい気はしないな。


その日に至るまでに何人の人が亡くなったことか。
その事実は消えやしない。


そもそも開戦したことが間違いだったんだ。



試しに「記念」という言葉を辞書でひいてみた。
【記念】後々の思い出に残しておくこと。また、そのもの。(広辞苑)

…うーん思い出か。なんか軽いなぁ。もっと、心に刻むべき日~みたいな意味のあるコトバはないのかしらね。
いっそ「1945終戦日」とか、ダイレクトなのにするとか。
アメリカでは9.11はなんて表現してるんだろう。




昨日家の近くの交番には、日の丸の旗が掲げてあった。


私はなんとなく、気持ち悪かった。


勉強不足で、あまり詳しくはないけれど、日の丸にこめられる意味には様々なものがあるんだよね。
だから、ブログという場で発言するにはちょっとはばかられる内容なんだけれど・・・私の素直な印象として。


昨日の日の丸には、どんな意味があったんだろう。

お国のために亡くなった、たくさんの方々を追悼するっていう意味?

確かに、亡くなった方々には、心の底から祈りをささげたい。



でも私はやっぱり、日の丸を見ると、国民全体が「お国の為に」と突っ走っていた戦時中の様子を考えてしまう。

その当時の象徴たる日の丸を、よりにもよってこの日に見るのは、なんとなく気持ち悪い・・・っていうのが私の感想。


というかそもそも普段から、日の丸ってあんまり好きじゃないんだ。


日常ではほとんどお目にかからないのに、学校の卒業式とかで突如として壇上に現れる、あれ。


普段は対して意識しない「日本国」を、嫌がおうにも感じさせる。どんよりしちゃってたな。


たまに日の丸を見るときといったら、オリンピック。
選手たちが一生懸命に自分の力を出す姿には感動するけれど、日の丸のユニフォームを着て「身が引き締まります」みたいなコメントを言っている様子は、私はどうしても目をそらしてしまう。

もちろん選手たちは、「日本っちゅー1つのでっかい国の代表」として、いろんな人の涙の上にいろんな人の支え
を持ってオリンピックに出場するってんだから、感無量になるのは当然かもしれん。


しかしなぁ・・・私はどうも、日の丸は純粋に今の日本を表しているだけじゃなくって、過去の日本もひっくるめて、すべての象徴だと感じているから。


そんな重いもん背負ってたら、早く走れるもんも走れなくなってしまうわ。私だったら。


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終戦の日(と呼ぶことにした)特集でやってた、

池上彰さんが戦争を解説してるテレビ番組を見た。



その中では、日本が傀儡政権を打ち立てて事実上占領した満州のこととか、
最近の内戦ということでボスニア・ヘルツェゴビナのこともやっていた。



旧満州国、今ではニュースなどで中国東北部と呼ばれるところに、実際にアナウンサーが行って取材をする様子が映し出されていた。


満州国設立までの流れをざっくり説明すると、

日露戦争の講和条約(ポーツマス条約、1905年)でロシアからもらった、東清鉄道の一部を利用して、

1906年に設立された南満州鉄道株式会社(通称、満鉄)。

ここを守るために、関東省に置かれたのが日本の「関東軍」


その関東軍がやらかしたといわれている、1928年の張作霖爆殺事件、1931年の柳条湖事件(満州事変)を経て、


日本は満州国設立を宣言する。


世界の国々から反対されたら、逆ギレして国連脱退する始末。



テレビでやっていた、旧満州国は、かなりきれいだった。
メインストリートなんだろうけど、ほんと渋谷みたいなところもあった。


様々な建物が、日本風だった。
駅は東京駅そっくり。国会議事堂にそっくりな建物もあった。日本のお城みたいなのもあった。

全部、占領時代につくったものがそのまま利用されているらしい。


アナウンサーが言っていた「無理やりにでも日本色に染めようとしていた様子が怖い」には、共感。



張作霖爆殺事件の現場になった鉄道跡は、なんとそのまま残されていた。

近くに、大きいモニュメント。


ほんとにでっかかった。



事件が起きた日が、はっきりと刻まれていた。

中国人男性はコメントで、「中国人はこの日を絶対に忘れることはできない。父や祖父から当時のことを言い聞かせられている。」と述べた。



ついつい終戦の日には、被害国としての日本にしか目を向けないが、日本は加害国でもあるのだ。


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ところで過去のことを忘れないためのツールとしては、


モニュメント・慰霊碑ってのも重要なんだなぁと思った。


旧満州国のでっかいモニュメントと、それを見ながら語る中国人男性を見て。



モニュメントとかって、正直あまり意識したことなかった。

慰霊碑に亡くなった方の名が刻まれていたら、悲しくはなったけれど、
特に人の名前も何もないようなものは、「ふーんここで何かが起きたんだ」くらいのきもちだったかも。


だって、なんだか汚らしくなってたし。


大事なのは、そのモニュメントに込められた人々の想い。


モニュメントだけあってもダメ。
人々の気持ちがついてこないと。


でも人の気持ちさえあれば、モニュメントは出来事を忘れないための格好のツールになるんだね。

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また、ボスニア・ヘルツェゴビナの方。

こっちは、池上彰さんと女優の長谷川京子さんが現地に赴いていた。

一見きれいな街並み。

でもいたるところに銃弾の跡。

上から爆弾が降ってきて人がなくなったところには、爆弾による道路の跡はそのままにして、血を表すものとしてその跡を赤く塗り、残しているそうだ。



ボスニア・ヘルルツェゴビナの内戦は、1992年から1995年まで続いた。

すげー最近じゃんね。

ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルルツェゴビナは、カリスマ指導者のチトーがいる間はなんとか一つにまとまっていたんだけれど、チトーがなくなってからばらばらになっていったらしい。


もともと、色々な人種・言語・宗教を持つ人々の寄せ集めで成り立っていた国家。


ウィキペディアから引用しちゃうと、

『1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア警察軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。それを契機に、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を求めるボシュニャク人・クロアチア人と、独立に反対するセルビア人との間で対立が深まり、』


・・・内戦へと向かって行ったみたいだ。



強く印象に残ったのは、
内戦で夫や子供を亡くしたお母さんたちのコメント。

ある人は、未だに亡くなった息子の写真を見れないのだという。
たった12歳で亡くなった子。
取材班には、写真を裏返しにして、自分には見えないようにして差し出してくれていた。



長谷川京子さんからの質問
「そんなにつらい想いをして、今生きてゆける、希望のようなものはあるんですか?」


きっと、つらい中にも希望を見出して生きているんだという答えを、誰もが期待しただろう。


しかし、お母さんたちの返答は違った。



「希望なんかない。」
「死ねないから生きているだけ。」
「息子の無念を消さないために、死ねないだけ。」





……衝撃の言葉だった。

どんなに悲しいことがあっても、人は立ち直って生きてゆけると思っていた。

戦争・内戦が終わっても悲しみは続くというのはこういうことだったのか。


本当に大事なものを突如として奪われた人々。


なんて取り返しのつかない出来事だったのだろうと思う。


戦争・内戦が、形式上終わると、町も外見上は復興する。
(むしろ激しい戦いでめちゃくちゃになった分、復興すると建物がきれいになって、きれいな街になるらしい。)

ニュースでも取り上げられなくって、忘れ去られる。


そしてそのうち、戦争を知らない世代が人口の大半になると、また戦争がはじまるんだろう。



むなしい話だ。





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戦争を繰り返さない為にはどうしたらよいのか。


よく、「戦争の悲惨さを伝えなくちゃいけない」という。


それはもちろんそうだ。
小学生の頃、マンガの「はだしのゲン」で見た、原爆投下後の人々の様子のおぞましさは、目に焼き付いている。

建物から吹き飛んできたガラスが、体中に刺さって、

熱で皮膚がただれて、裸なのにひらひらの服を着ているみたいで。腕の皮膚が地面につかないように幽霊みたいに腕を上げながらあるく。


また、「原爆の絵」で有名な、丸木位里・俊夫妻の「丸木美術館」にも行ったことがある。

率直に、もう、おどろおどろしくって気持ち悪かった。

赤ちゃんを抱えながら火にのまれてゆくお母さんの様子とか、見ていて苦しかった。


こういった、想像を絶する戦争のおぞましさは、伝えて行かねばならない。








しかし、それだけではダメだと、私は思っている。


戦争で怖いのは、外見上のおぞましさよりも、家族や親しい人が奪われてしまうということではなかろうか。



その悲しみこそ、伝えていかねばならないと思う。




しかしそもそも、現代人は、家族や親しい人を奪われる悲しみを、理解できるのだろうか?


親が子供を殺し、子どもが親を殺す時代。



家族のぬくもりとかまどろっこしいものを捨てて、簡単に手にはいる「モノ」で心を満たしていないだろうか?


戦争ゲームや凶悪な殺人事件が身近な時代。
現実の政界では生きる目的を見出せず、そういったものにあこがれを抱いて、むしろ「戦争やってみたい」という感覚の人すらいるんじゃないだろうか。




今って、もしかして、すっごい危ない時代かもしれない。




「平和」が当たり前の感覚の中で、



人の心を置き去りにした物質的な豊かさがはびこっている。




今、日本が戦争をするとして、本気で反対してくれる人はどれだけいろだろうか。








…私だって、家族の大切さとか、人とのつながりのあたたかさとか、知ったのは最近だったように思う。

今まではのんのんと生きていて、家に帰ったらお母さんがご飯をつくってくれているのは当然で、お父さんが稼いできたお金からちょっとばかりお小遣いをもらうのは当然という感覚。


そんな私も、様々な人に出会ったり、恋人と付き合うってことも経験して、ちょっとだけ大人になって、両親の苦労やありがたみ、そばにいてくれる人の大切さを感じれるようになった。



大切なことを学べた私は幸運である。



今だからこそ、昔以上に、戦争の悲しみを理解できた、気がする。



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まずは、人の心を平和にすること。


教育も、本気で見直さなきゃいけないとおもう。

テストで点をとる勉強だけじゃなくって、人の心を豊かにする教育を。



もしくは人々が、親子が、心にゆとりをもって接することができるような環境を。社会を。



持続的に、作っていかねばならない。





ずっと平和でいるって、どんなに大変なことなんだろう。




ある、一人暮らしの先輩が言っていた言葉を思い出す。

「一人暮らしになって、生活の現状維持がこんなに大変なのかと気付いた。毎日洗濯して掃除して…」


私の部屋も、ちょっと掃除を怠ると、すぐにほこりだらけ。




平和な社会だってそうだろう。


ちょっと、戦争の事実を伝えることを怠ったり、

人々の心の豊かさを意識しない時代になったら、



すぐ平和なんてくずれちゃうよ。







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