俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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マルクス『資本論』より
少し時間ができたので久ぶりにブログを書いてみる。

私は基本的に土日のどちらか、9時から14時くらいまでバイトをしていることが多いが、今日は午前中に授業があったのでお休みだった。
9時から14時までの間に、家から1時間半かけて学校へ行き、90分の授業を受け、新聞を3紙ほどざっとチェックし、ゆっくりとお昼を食べることができた。ちなみに今日は贅沢してデザートも食べた。

この貴重な5時間を、毎週時給労働で牛丼屋の単純作業に費やしているなんて、ほんとに馬鹿げているなぁとつくづく感じる今日この頃。

働いて稼ぐとは大変なことなのだと実感するよい機会でもあるが、どうも貴重な人材が無駄に消耗されている気がする。今はとにかくしっかりと勉強して力を蓄えた後、自分の能力を存分に発揮出来る形で社会に貢献したいものだ。



さて、大学が後期に入ってからというもの、早稲田大学社会科学部の田村正勝教授の授業を拝聴させていただいている。これが面白い。目からうろこが出るほど。

田村先生は大学内にとどまらず、経済界に今の経済を変えるよう働きかけたり、実際に人々が豊かな生活を取り戻せるようNPOでの実践に講演活動にと大忙しのようである。

そういった先生のご活躍や、先生の授業が私の学部の看板の1つでもあることは知っていたが、私はあえて今まで取っていなかった。なんとなく、自分の身のたけに合わない気がしたからだ。

実際、3年生のころ1度だけ聴講したことはあり、その知識の深さに驚いたものの、まったく真実味を持って自分の胸に訴えかけてこなかった。自分の知識不足は今も昔も変わらないが、それ以前の問題として、社会に対する「感度」があまりににぶく、自分の生き方の中で大切にしたいと思う「軸」が形成されていなかったからであろう。

しかし今は、そういった「感度」や「軸」を、NPOでの活動やインターンとして様々な人に揉まれる中で形成できた。



…とこれ以上つらつらと思いつくままに書くと、また時間がなくなってしまう。


今日はせっかくなので、本日の授業で聞いたことの中でぜひ皆様にも知っておいていただきたいと思ったことをまとめてみる。


マルクスが『資本論』でまとめた、資本主義の不可能性についてである。


マルクスは、資本主義経済ではなぜ「搾取」が起きるのか、そのメカニズムを明らかにしようとした。

なお、マルクスは1818~1883年に生きた人であるので、その時代の現状を想像しつつ理解しないといけない。



マルクスによると、資本主義経済を

①交換の場
②生産の場

の2つに分けられるとし、それぞれの場合において搾取が発生する要因を探ろうとした。



①の交換の場、とは、資本主義経済の特徴である「資本と労働の交換」を指している。ちなみに物と物との交換はどんな経済でも成り立つものだが、資本主義経済においては資本と労働が交換できるというのが特徴的らしい。

マルクスは、この交換の場においては、搾取発生の要因は見当たらず、問題なく機能しているとした。

もしここで搾取が行われているとしたら、労働者が自分の生存の糧を得るために働かなくてはならない「必要労働時間」に対し、正当な賃金が支払われていないということになる。(・・・必要労働時間と資本の交換のことを「交換の場」と言っているようだ。)

しかし必要労働時間に対して正当な賃金が支払われていなければ、労働者は生きてゆけず、資本家も働き手がいなくなり困ってしまう。なので必要労働時間に対しては正当な賃金が支払われている(ハズ)というのが、マルクスの会見だそうだ。



次に②の生産の場。これは純粋に、資本と労働が協力しあうことによってモノが生産される、という現象を指している。(資本だけでも、労働力だけでもモノは生産できない。資本たる工場の機械設備があって、そこで労働者が働くことではじめて、モノが生産される。)


マルクスは、この生産の場に搾取の原因があると指摘した。


簡単に言えば、生産の場において労働者は、自分の生存に必要な労働時間(必要労働時間)以上に働かせられているのに、必要労働時間分の賃金しか得ていないというのだ。

ここでまず、なぜ労働者が必要労働時間以上に働いているのかその構造を解説する。


労働者が自分の生存に必要なだけしか何があっても働かないとすれば、生産量は一定で拡大することはない。


資本主義において資本家は、生産量を拡大に、利益の出た分を再投資し、また生産量を拡大させる・・・といった直線的な繰返しを続ける性質がある。


これは現代の企業でも、「昨年度売上より●%アップを目指しましょう!」と叫んでいる声を聞くように、明らかである。(・・・確かめたわけではないのが痛いが、そんなような気がする。)


もちろん年々労働時間を1時間づつ増やすといっても限界があるので、実際には再投資する際にさらに効率的に生産できる機械を投入するなど、生産の効率性を上げることが目指されている。


ここで、毎年の生産向上は、誰のおかげなのか考えてみる。

資本家と労働者、2人のおかげである。


しかし実際には、生産向上の利益は労働者には配分されず、資本家が独占、再投資に熱を入れている。

つまり「搾取」が発生しているのである。


搾取が発生しているとはいえ、労働者はとりあえず自分が生きられる分だけの賃金は貰っているので、その事実になかなか気づかなかったり、どうしても力関係として資本家が上の立場であることが多いので、何も言えなかったりするようだ。



私の実感に照らし合わせれば、私は大手牛丼屋チェーン「すき家」(会社組織としては、株式会社ゼンショー)でアルバイトをしている。ゼンショーの売り上げは、ライバルである吉野家や松屋をとうに追い抜いてここ数年うなぎのぼりであるが、私のバイトの時給は上がっていない。これはゼンショーが、他店と差をつけるために次々に新メニューを投入したり、さらに効率的に作業を進めるために頻繁に変更されるオペレーションに必死に対応し、労働を提供している我々労働者を差し置いて、上昇分の利益を独占し、再投資を繰返している結果といえる。(・・・たぶん)


また、授業で聞いた話によると、売上向上による利益拡大が目に見える形(たとえば、年々新しい機械が投入される、在庫がどんどん増える、など)であれば、まだ労働者は自分が搾取されていて資本家ばかりが利益を独占していると気づくかもしれないが、日本は輸出によってなりたつ部分が大きいので、資本家の利益独占とその拡大が見えにくくなっている構造もあるらしい。


*****************************


このような搾取の構造をとらえ、マルクスは「資本主義は遅かれ早かれ崩壊する」と予言した。


しかし、現状では資本主義は残っている。
(ただ厳密にいえば、今日の大半の先進国のように、市場の動きや市民の生活に深く政府が介入している社会はもはや純粋な資本主義とはいえず、とくに日本は社会主義ともいえるらしい。)


なぜ現在も資本主義が残っているのか、

それはもう、だましだまし存続させているようなものなのだというのが、授業を聴いての感想だ。


搾取が起きているといっても、労働者にとっても資本家が多少は利益を得て再投資してもらって、生産効率のよい機械を取り入れてもらったり利益のパイを大きくしたりしてもらうことはある程度必要だと考えていたようである。


かといって黙っていては搾取される一方なので、春闘など労働者の声を主張し賃上げを要求する機会が、制度的に取り入れられている。


資本家と労働者の主張を調整しつつ、だましだまし成長を続けてきて、今に至るのではないか。



だが・・・私はこのあたりの実態が知識不足なので違っていたら指摘してほしいが、春闘は機能しているのか?賃金のベースアップはどの程度実現しているのか?

企業の内部留保や株主への配当は増えている(たしか)が、その率と比べて適正なだけ賃金は上がっているのか。


企業側は、「昨今の経済状況は厳しくて・・・」と言い訳して、労働者側の主張を退けているのではないか。


労働者も、そんな企業の言葉にうなづくばかりで、きちんとした主張ができていないのではないか。

ここでいう「きちんとした主張」というのは、ただやみくもに賃上げを要求することではない。企業が「厳しい」というのは、さらなる経済成長を続けようとするからで、労働者はそんな成長志向が本当に労働者のためになるのかを問い直させなければならないのではないか。

賃上げはもう必要ないから、労働時間を減らして、文化的な生活を送れるように配慮してほしい…といったことだって、主張するべきなのではないか。(・・・もう主張しているのかな?確認してみよう)


ニュースでも、多くの人が政府に求めることと言えば「経済政策」。経済成長をまずさせるのが第一だと、まだ大半の人が思っているようだ。


とりわけ低価格競争が激しい。もっと質の高い競争はできないのか?



イタリアのある町には、衣料関係の中小企業がたくさん集まっており、生地を生産する企業だけでも複数あるそうだ。

しかしそれらは、価格競争の波の中で淘汰されるのではなく、共存し合っている。それぞれの企業が得意とする分野を確立し、注文する側も作りたい製品の特徴に応じて注文し分けているそうだ。

大企業の下請けだけをする日本の中小企業は、とにかく安くいかに大量生産できるかが問われ、衰退してしまっている。


この低価格競争・質の低い競争を黙認し、事実その恩恵を享受しているのは、我々市民である。我々自身も、もう少し質の高い生活を志向するような教育が必要だ。

教育、というと押し付けがましく感じる人もいるかもしれないが、とかく経済成長ばかり説くマスメディアにさらされ、経済成長がすべてという思考になっている現状はやはりおかしい。もう少し自分の力で考え、自分の大切にしたいものを持てば(たとえば、お金だけでなく人と会って話す時間も貴重だ…と気づくことなど)、自然と質の高い生活を志向するようになるのではないか。


また、現代の日本を見ていると、マルクス時代の搾取のように生存できるだけの賃金を保障された上での搾取でなく、労働者の生存が危険にさらされるまでにも絞り取られている。(過労死はかなり分かりやすい例だし、マルクスの言う「必要な賃金」には、結婚し子どもを生み次の労働者を育てられることも含まれているのだから、それができない非正規労働者がいる現状はやはり異常)




書き始めたらまたいろいろと気になり始めてしまった。そして時間があっという間に過ぎてしまった。また勉強して出直そう。


さてこれから長唄練習です。12月5日が定期演奏会なのでみなさんよろしく!



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共感致します。
一通り内容を読ませて頂きました。
日本では、仕事を苦に鬱病やノイローゼになるようですね。
最悪の事態は、自殺や過労死だと聞きました。
搾取を通り過ぎて殺人並みのレベルです。
overzion | URL | 2011/05/06/Fri 15:41 [EDIT]
Re: 共感致します。
>overzionさま

コメントありがとうございました。
お返事を書いて投稿しようとしたら、「禁止ワードが含まれている」とかでコメント欄に投稿できなかったので、5月6日付の本文に記載しました。

よろしければご覧ください。
http://micchiyo.blog114.fc2.com/blog-entry-387.html
MICCHIYO | URL | 2011/05/06/Fri 22:33 [EDIT]



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