俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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ソーシャルメディアについて思う
ふと思ったこと。

ソーシャルメディアの発達で色々な人と繋がれるようになったが、必ずしも「多様な人」と繋がった訳ではない。

むしろ自分に似たライフスタイル、考えの人とばかり繋がり、同質性の中で凝り固まる危険性もある。


例えばホームレス支援関連で思った。

一般に言われる「社会のセーフティネットからこぼれおちてしまった人たち」のコミュニティに接してみると、自分が当たり前に思っていたことが共通認識にされていなかったり、私からしたら普通じゃないと思える考え方が普通だったり。

これは必ずしも悪い意味じゃない。例えば、お互いに助け合うという姿勢は私たちより強いかもしれない。
これは、少し足の悪い方がふらついて他の人がさっと支えにいった様子をみて、思った。私は気づくのが遅くって何も動けなかった。

こぼれおちた・・・というより、社会のマジョリティに排除されることによって色々と不便な立場に立たされているが、彼らは彼らの中で社会があるんだよね、という印象。
私が常識と考えている社会だけが唯一無二じゃないんだ。

自分が見えている世界は想像以上に狭いのだ、と肝に銘じたい。


一方で、同質性をもった人が固まることで、少数意見が可視化されるということもある。
ソーシャルメディアを用いて、些細な事でも発信し、共感した人がつながってゆくことは、市民活動の強まりに繋がり、多様な人々が生きやすい社会をつくる源泉となる。


ソーシャルメディアの作った世界の中に閉じこもって、同質性を持つ人とばかり会話をしていたのでは、知らないうちに自分の生きている社会の土台が、どっかの誰かの都合のよいように作りかえられてしまいそう。


やっぱり私は、「社会の中での自分の立ち位置」とか「自分が今いる社会とは?他の社会のあり方は?」とか、考えてしまうなぁ。


ちなみに、「メディア」ってのはあくまで情報媒体。ソーシャルメディアってのは一人一人の情報発信によって生み出されるメディア。双方向のやり取りを可視化できるのがいい・・・らしい。けど、リアルな社会を無視したら意味ないぜよ。リアルに食べて飲んで生きている自分がいて、ソーシャルメディア社会も成り立っているわけだし。
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