俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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そこそこの働き方について考える
Face book上で面白いやり取りが発生したので、ここに転記して、なおかつ深く考えてみたいと思います。


以下、私の文章。
「女性の社会進出と平行して高まった女性の「癒し」へのニーズをうけ、アロマ等の癒し産業が出てきた。

今後も人をケアする産業が増えると思うが、言い換えるとそれは、「癒し」までもが市場経済にのみ込まれていっているということでは。
別にそれが悪いと言っているのではない。市場原理の中で、働き食べ癒すという一連の行為を完結させたいなら。でも私は、ニーズがあるからやります的な、ホスピタリティ精神気取りの最近の企業の宣伝文句にはなんとなく違和感がある。

だからかもしれない。私は就活があわなくてすぐにやめてしまった。ニーズをキャッチして採算とれるように工夫する…って思考回路、受け入れられなかった。市場でやるべきとはやらなきゃだけど、ある程度生活満たされてんなら働かなきゃいいじゃん、ケアにお金だすまで働くんじゃなく、世の中の労働時間が減ればいいじゃんと思ってしまう。」


次に、ある人からのコメントの趣旨
「普通の人なら、人より金持ちになりたいと思うのでは?
だったら、人より多く働かないといけないし、その為には余計に仕事を産み出さないのだから、そういう世の中の流れは仕方ないのでは?」


誤解の内容に言っておくと、私はこのいただいたコメントを批難するつもりは全くありません。
むしろこういう考え方もあるのかと勉強になったので、とっても感謝しています。

そんな、コメントをくださった人への敬意をこめつつ、私の考えを述べます。


「素直な私の感情としては、金はそんなにいらないからできるだけ働きたくない。どっかの山のふもとでお茶屋さんをやりつつ、最低限稼いだお金で生活必需品を買い、ちょっと食べる分だけ畑でつくる・・・ってのが実は私の理想。人より金持ちになりたい人って、ほんとにそんなにいるのかな?

ニーズをくみ取ってビジネスチャンスにするのは、サービス提供者も受益者も幸せになるけれど、ニーズを無理やり作っている感があるのが気になる。過剰なCMで購買意欲をあおる等。「余計な仕事」だったらやらなくていいじゃんっ...て思う。もっとも私も既に「つくられたニーズ」に満たされていて、例えば高いお金を払って酒を飲むという楽しみに浸ってしまっていますが。」


…とここまで書いて、ちょっと考え直す。

もしくは、こういうことか。


どんなに私がのんびりと、山のふもとでお茶屋さんをやりたいと言っても、隣にもう一軒とっても素敵なお茶屋さんができたら競争しないとこちらの利益がなくなってしまう。

この意味で、人より(他店より)金持ちにならないと、自分のお店に利益がでない、ということにはなる。


そこで私は、新商品を生み出して「新たなニーズを創出し」、こちらにも利益がでるようにする。相手のお店ももちろん同様の手立てで新商品を開発したり、低価格にして「できるだけ安く買いたい」というニーズにこたえようとする。


ここで、徹底的に競争してがむしゃらに働いて大儲けを狙うのか、もしくはお互いの利益が半々くらいにあるところで折り合いをつけ、共存の道を選ぶのかは、選択の問題であろう。


ここで私は後者を選びたい。

これは主観だが、私の中では「人生の40%働いて、40%遊んで、20%で生活の維持をする」というように、自分の時間をかける比率がある。(このパーセンテージは今適当に考えたんだけれど)

働く時間が自分の中で40%を超えてしまうのなら、そこまでして競争したくない。(相手も同じ考えだといいのだが・・・)
その代わりあまり儲けられないが、それで良いと思っている。


もちろん前者を選ぶ人がいてもよいかもしれない。
この人は、「高級な料理を食べる」といった楽しみを得ることができる。
これはこれで非難されるべきことでもなんでもない。

「金儲けに走るやつはいやしい」みたいな価値観も一方であるかもしれないが、そういった道徳的価値観は今回の議論では考慮しない。実際問題、前者を選ぶ人は必ずしも利己的な人ばかりではなく、「高級な料理を周りの人に食べさせてあげたい」とか、「先ずは儲けて、その金を利用して貧しい子どもを救いたい」という思考をもつ人もいる。


※ただ、従来の経済学の考えでは、市場原理ではどこまでも競争することで悪い製品が駆逐されたり、技術革新が起きたりするとしており、結果的に社会全体の幸せ度(=「社会的厚生」といいます)が増すとしている。

つまりナァナァな競争をしていては、当人たちはそこそこ幸せかもしれないが、他の人々にとっては、もし彼らが本気で競争していえば得られただろう利益(めっちゃおいしい新製品を食べられる、同じ商品が低価格で手に入る…等)が得られず、社会的に損だ、ということだ。

しかし現実を見るとどうだろう?人々は働き過ぎて生きることが困難になっていたり、利益を重視するあまり非正規労働者を使ったり。これで社会的厚生が増していると言えるのか?競争するにも限度があったのだ。



結局、人より多く働いて大きな利益を得たり、無理やりニーズをつくってまで商売したりするのか、もしくはある程度の働き方でやめておいてそこそこの利益で満足するのかは、個人の選択の自由なのかも。

その人が何を得たいのか、という基準に基づいた選択。


だが、ここで私が就活で感じた違和感にもどると、


「新たなニーズを発見し、それをビジネスにして、お客様にも満足いただく方法を考える!」ことは絶対的に素晴らしいことで、そのように考えられる人間が「真のビジネスパーソンである!」といった考えが、蔓延していないか?


「そこそこの働きをする」という選択肢は、まったく提示されていない。


わざわざ「アロマ」等の癒しを市場経済部門でまかなわなくても、癒しがそんなに必要ないくらいのレベルに労働時間を短くしてもよいし、市場経済に入っていない部分で癒されてもいいという発想はないのか、と思ってしまった。


何を良しとするのかは、各人の判断や、時代の中で変わってゆくもの。
ただ、今私の周りでは、どちらかといえば「そこそこの働き」を称賛する方が多い。人間や自然の持続可能性の観点などから。
経済学でも、従来の考え方を見直す動きが強まっている。
だからと言って、金持ちを目指す人をすべてバッシングするのも、違うのかな~と思っている。バランスの問題…。


……ゆえに、話は変わるが、私は大学教員になりたいと思っている。

冒頭述べたように、本心では山のふもとで静かに暮らしたいんだが、「そこそこの働き」の良さを自分なりに感じてしまった以上、働きすぎて死にそうになっている現代人とか色々と行き詰っている現代社会そのものを見過ごして、自分だけ「そこそこの働きとそこそこの幸せ」を目指すことができないのだ。自分だけが幸せになるのは申し訳ないみたいな、変な気遣いで、ある意味仕方なく。

なぜ大学教員なのかというと、

1、従来の経済学に対する違和感から、もうちょっと別の経済学をつくりたいと思った。
やはり経済は人の生活に関わるから、どんなに気持ちとしては「そこそこの働き」を求めている人も、就職の段階で今の景気がどうとかこの業績からしてこれだけの売り上げを出さねばわが社はもたないとか、経済理論にのっとって言われると、「そうかなぁ」なんて思ってしまうのでは。

でも本当は、そんな今までの経済学の考えにのっとらなくっても、身の回りにはそこそこやってゆける経済があるんだよ、と伝えたいし、そんな経済を描き出したい。

2、多くの人に、とりわけ若者に、この感覚を伝えたい。
この感覚というのは、今述べたような「そこそこの働きもあり」ということや、経済学でもなんでも、従来の理論をそのまま鵜呑みにするのではなく、自ら社会を見て、自分の目指す生き方を考えて、生きていってほしい、必要があれば従来の理論を組みかえていってほしい、ということだ。


こう考えると、研究もできて教育もできるという大学教員が、私の職業の選択肢の中で今のところ一番希望するものである。



まとまらない話だが、こんなことを考えた夜。







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今井さんが教授になったとします。
そこそこの勉強しかしない後輩と寝る間も惜しんで勉強する後輩が居ます。
どちらかを助教授として採用しなければいけないという時、今井教授はどちらを選ぶんですか?

そこそこの働きで最低限の暮らしって、すごく悠長に聞こえるんだよなぁ・・・。
最低限って、かなりリスクあるじゃん。つまり、そのリスクも負うってことだからね。
例えば、急に畑が不作でしたとかなったら、食えずに死んじゃう。
そういうときに誰かにすがりつく事ができる前提ならいいよ?
でも、そんなに甘くないでしょ。

関係ないけど、自分の貧しさを誰かのせいにしてるような貧乏人は、どんな経済システムでも貧乏人になるんじゃねぇかと思うんですよね。

結局いくら知的な人間と言えどもこうして群れてサバイバルしてる以上弱肉強食が前提ですからねぇ。
本来のサバイバルなら餓死してるところを、淘汰されてもまだ街のゴミ箱漁りつつ生き続けることができる現代社会はまだマシじゃないですか?
| URL | 2011/01/25/Tue 11:58 [EDIT]



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