俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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そこそこの働きかたについてその2
前の記事(そこそこの働き方について考える)にいただいたコメントに返事書いたんですが、なぜか投稿できなかった・・・(禁止ワードが含まれている?)ので、本文に記載。奥くん、こんなとこにさらしてごめん・・・


(以下)

>奥くん

コメントありがとう!

まず、お互い「そこそこ」が何をさしているのかイメージがずれているようなので、その誤解を解くことから。
そこそこの暮らしって、そこまで食うや食わずのところはイメージしていません。


たぶん奥くんと、使っている言葉は違うけど、所詮求めている生活のレベルはそんなに違わないと思う。
一食の食費に1万かけられるようになるまで頑張り続けるか、一食500円レベルで満足として働く量を調整し、その分他のところで楽しみを見出すか、の違いくらい。


ってか最低限の暮らしとは言っていないな。「私の望むそこそこの生活の為に必要な、必要なだけの稼ぎ」をしたいのだって言えば明確かな。人生の中心に生活があって、仕事はそれにあわせて考えたい、的な。
「ちょっと畑やりつつお茶屋さんやりたい・・・」というのは本当に「理想」であって、実際考えればどれだけ厳しいか、自給自足なんて自然相手で大変なことなんだ、というのは想像できます。



ブログで書いた点で重要なのは、たとえ私が「そこそこ」の生活を志向して、このくらいでいいかな~と働く量を調整したくっても、競争相手(隣にできた新しいお茶屋さんの例)がいる以上競争は発生してしまうということ。これは現実。


こう考えてゆけば、私が教授になったとして・・・の問い、寝る間も惜しんで頑張る後輩を選ぶでしょうね。(頑張った量が教員としての資質に比例すると仮定すればですが。)だって、教員になりたいという目的の下で競争しているのだから、限られたポストの手前勝ち負けが出てしまうのは仕方ないです。私も、そこそこの生活を志向してはいますが、それを手に入れる前にやりたいことがあるから教員になりたいと思っているので、その為には努力するでしょう。


私が指摘したいのは、日本社会全体としてほとんどの人が(たとえそこそこ生きたいだけの人も)、競争が過熱している中でめちゃくちゃに働かねばならないという風潮。知らぬ間に市場経済が拡大して競争に飲み込まれている事態に無自覚な人が多いということ。また、過熱した競争の見えない部分には、非正規労働者など不当に搾取されている人もいるということ。(もちろん「そこそこ生きる」といったって要所要所で競争があるのは仕方がないですが、全体の風潮として)



現代社会が、ゴミをあさって生きてゆけるくらいまである程度豊になったのなら、その豊かさをそれこそ途上国の人の分けてあげればいいのにと思う。
必死に頑張らねば餓死してしまう、自然的なサバイバル状態から日本が既に脱しているとするなら、今の状態は人工的なサバイバル状態。十分豊かなのに休むことを知らず、無理やりにでもニーズを創出してゆく感じ。そんなのいつまで続けるの?ちょっと立ち止まって、別のところにエネルギー使えばいいじゃん、と思う。

そんな、転落に備えてひたすら働くという道は、本当に奥くんの希望ですか?キリないし、どんなに蓄えていてもいつ誰がどんな形で転落するかはわからないのに。



個人的には、日本全体でもう少し労働時間が減ればいいとは思っていますが、これはまた別の機会に。(理由は色々ありますが、もう十分豊かな経済環境なんだから、ちょっと休んだ方が人々の精神衛生状態も良くなり、医療保険費なども削減され、環境にもよく、余暇でそれこそ本当に困っている人の為にボランティアをしたりできるのに・・・的な理由。労働時間減っても今の経済水準はそんなに変らないというデータもあるようだし。)



> 関係ないけど、自分の貧しさを誰かのせいにしてるような貧乏人は、どんな経済システムでも貧乏人になるんじゃねぇかと思うんですよね。

誰かのせいにするって、具体的にどんな感じなん?まぁ、どんな集団でも人が集ると、頑張るのは2割で、あと6割は言われたら動く人で、残り2割は怠ける・・・みたいに言うから(割合は記憶あいまい)、社会の中で一定割合はそういう人が出るのはわからんでもないんだが。

ただ、貧乏人(というか貧困者)は現在増えていて、その内実も多種多様になっているようだから、ここ話し出すと長くなります。ひとまずあまり自分のイメージで決め付けず色々な面からみないといけない。私もよくわかっていないので、そういう人が集る施設でバイトしようとしてるんだけど。確実に、自分ではどうにもできない事由で貧困に転落している人がいる。

また私としては、どんな貧乏人でも放置しておいて気持ちのよいもんじゃない。感覚として、自分だけ幸せなるってことに違和感がある。

「全ての人間には人権があって・・・」みたいな話は奥くん嫌いそうだからしないけど(笑)、ちょっとサポートすれば社会全体の人がまるくおさまるんだったら、自分の生活がそこそこ安定してるんだから、サポートしたいなーって思う。何言ってもどうしようもない人もいるかもしんないけど、その人にばかりフォーカスしていても何も解決しないし、本質的にどうしようもないヤツなんてわからんし。

例えば奥くんが演奏会本番に三味線のバチを忘れてきたら、それは自己責任、演奏できなくてもしょうがないと切り捨てることもできる。でも私は、私のバチを貸してあげる。ちょっと気づかって譲るだけで奥くんも他のメンバーも気持ちよくなれるんなら、そっちのがいいじゃんと思うから。


他に、あまりに奥くんが怠け者で周りに迷惑かける存在だったら、もしかしたら排除されてしかるべきかもしれない。でもface to faceの関係が築けている仲だからそう簡単に排除はしません。君遅刻しなかったことないけど受け入れているじゃん(笑)(今ホームレスになっているような人の中には、こういったface to faceの関係がたまたまなくって路上にまで転落してしまった人も多くいる。)


ついでに書きますが、富める人も、もしかしたら自分がいく人もの貧者を踏み台にしてその冨を手に入れているのかもしれないのに、無自覚だよね。

奥くんはこんなのしないと思うけど、実際貧困ビジネスってあるし。おおっぴらにも、「コスト削減」して利益を出すために、過酷な労働条件で1日10何時間も働かされて過労死に追い込まれるような人もいる。そういう悪い条件の仕事につくのも自己責任というかもしれないけど、確実にそういった条件の仕事は不当に増えている(=そういった条件の仕事を増やしてまで競争している企業がある。競争にも質ってもんがあるのに。)し、また自分に付加価値をつけて、高付加価値な生産に従事して高い給料をもらえるというのは、本人の努力もあるけど、社会・家庭環境の影響大。なのに恵まれた人ほど、自分の恵まれた環境に無自覚だったりする。(逆に、貧乏の理由を全て環境のせいにするのか?とまた言われそうですが)



うーん、だーっと書いてしまったのでわけわかんなくなっていますが、また気になったところあったらコメントください!
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