俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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【追記アリ】原発事故の責任は私達にもある
(3月18日末尾に追記あり。)

今回ほど、ツイッターやfacebookの素晴らしさを感じたことはない。

みんな不安な中で、TVや新聞も同じような情報しか流さない中で、ツイッターやfacebookを通じて多様な人の多様な声が聞ける。

中には、#prayforjapanのハッシュタグで集められているような、震災の只中で見つけた心温まる一コマや、全然メディアには出てこないけど死を覚悟で寝ないで食べないでがんばってる東電の方についての書き込みや、今現地でがんばってる自衛隊の方のつぶやきなんかも生で見れる。

すごい時代だ。
この緊急事態においてのんきな感想かもしれないが、素直にそう思う。


もちろんデマもあるようだけど、私の周りにはあまり流れていないみたい。
少なくともツイッターならその情報元を確認して、知り合いor信頼の置けそうな人(実名・実団体を公表しているとか)のしか信じないし。

デマの怖さよりも、多様な声が聞けるメリットの方が、少なくとも私の周りでは大きい。
おかげで、TVの一方的な情報に流されることなく、色々な視点で物事を考える余裕が保たれている気がする。


TV見てると、東電の人はまるで悪者扱い。
確かに今まで散々安全だっていって開発進めてきた責任もあるかもしれないけど・・・

今現場にいる人は、そりゃもう必死でがんばってるはず。
彼らにだって家族がいるのに。
祈るしかない。

************

一方で、今回の原発の件で、強く思う。

なんて今まで無自覚に電気を使える便利さを享受してきたのだろうか、と。

原発は、なんとなく危険だと感じていた。
原発と風力発電だったら、とりあえず風力発電に賛成の票を入れていた。


でも、真剣さが全然足りなかった。

東京の電気が、福島の人の危険の下に成り立っているってことも、知らなかった。


無知は、罪だ。


もっときちんと原発の怖さを知って、真剣に反対運動に参加してくればよかった。

風力発電にも問題はあるようだし、ただちに原発反対にまわるのはそれはそれで都合がいいといわれるかもしれないが・・・
とにかく真剣に議論に参加しなかったことが悔やまれる。



ここまで読んで、「たかが一個人が運動したところで何が変わるんだ」と思った人がいたら、ちょっと待って欲しい。


1人が動くことの力は大きいんだぞ。
1人が集まって、たくさんになって、世論になって、社会が動くんだ。


世論は知らぬ間に一部の人によって作られて、多くの人はそれにただ流される。


でも流されて、なんとなく社会を作るんじゃなくて、もっと1人1人が真剣に考えてゆければ。
私達の望む未来を。


なんだか大風呂敷を広げてしまった。
けど私は真剣にそう思っている。

今回の原発の事故、こうなってしまった以上、現場で踏ん張る方のために祈ることしかできないけど、

こうなってしまった責任は私達1人1人にもあるんだって、しっかり自覚しないといけない。


今回の責任は、政府や東電だけにあるんじゃない。
それらの原発推進を食い止めるのに参加しなかった、市民1人1人にもある。


多くの市民1人1人が無意識のうちに、今回の原発事故に加担していたんだ。

(だからテレビも報道陣も、しつこく東電や政府を責めることに時間を費やさないで欲しい。それも多少必要かも知れないが、一部の人に責任を擦り付けるのは本質ではない。※もちろん「今」の対応のまずさ(正確な情報をきちんと出さないなど・・・もしかしたら本当にわかっていないのかも知れないが・・・)を改善させるための建設的批判なら歓迎だ。)

*****************

自然災害は、正直最終的にはどうしようもない。
できる限りの備えをして、あとは天命を待つしかない。


でも原発の事故は防げたのに。

事故のせいで、命の危険にさらされている現場の方、不安におびえる付近の方のことを想うと、胸が苦しい。

もちろん私も怖い。このまま自体が悪化したらと思うと。。


こういう事態になってしまったことが悔しくてどうしようもない。

********************

また今回の事故で、民の力をひしひしと感じた。

東大のえらい先生とかより、市民の立場でずっと原発問題に取り組んできた「認定NPO法人 原子力資料情報室」(http://cnic.jp/)や、環境系のNGO活動にも深く関わってきた田中優さん(http://tanakayu.blogspot.com/)からの情報の方が、よっぽど信憑性もあるし、これから実際に使えると思う。


だいたいTVが「専門家だー」って騒ぐような権威のある先生が、今までの原発を推進してきたんちゃうか?

そいつらのいう安全神話が崩れたんだから、ちょっと謙虚にしといてもらえます?


変に情報を隠蔽したり、今は大丈夫とかいってじゃあちょっと後はどうなんねん最悪の事態を想定して行動するのが危機管理やろうがーってっつっこみたくなる人たち、科学的に実証できないからとか言って、チェルノブイリの被害とおそらく(一般市民の目で見れば明らかに)考えられる人たちを無視するような人たちよりも、



民の立場で、本当に民のために今まで活動してきた人たちのが頼もしい。

どっかの権威に守られた研究機関に頼るのではなく、複数の立場からの研究を進めることの重要性をひしひしと感じる。


とりあえず落ち着いたら、民による民のための研究に助成をしている「高木仁三郎基金」に寄付しようかな・・・。



てかまず前提として日常にもどれないといけないんだが・・・。
ひとまず今現場にいる人を応援する!!!!!!どうか頑張って!!!!!私も今できる範囲で頑張りますけぇ!!!


(3月18日追記)

ちょっと言葉が足りない部分がある気がしたので追記。

●東電の管理の悪さを批判する記事なども出ている。

それを読むと、「やっぱり東電が悪かったんじゃん~!」と思ってしまいがちだが、ちょっと待てほしい。

その管理の悪さを監視できなかったのは、私達だ。

普通、デパートなどで手に取る商品だったら、不良品があれば私達消費者はクレームを出す。
そうすることで、品質を管理している。


だが今回の場合、私達は「電力」という商品をあまりに無自覚に消費していた。

(※似たような例では、安いコーヒーなど・・・途上国の人がやっすい労働力で働いているおかげで、日本で安くコーヒーが飲めたり。それへのオルタナティブとして、フェアトレードコーヒーなどが流行って、結構定着してきた。きちんと途上国の生産者に正当な賃金を確保した上で販売しているやつ。話はちょっとそれるが、日本では「消費者教育」がきちんとなされていないから、何か商品を消費する時、商品のその先に何があるのかを考える想像力が不足しているとおもう・・・この「商品のその先への想像力」をきちんと植えつけるのが、協働組合の1つのテーマであったりするんだが、これはまた今度。)


そりゃあ、なんでもかんでも(ガス会社も水道会社も・・・etc)完全に監視するのは疲れるし、専門性も高いから限界ががある。

そこで活躍するのが、市民による研究グループ(研究機関)だと思う。

市民の立場で、研究し、問題があるようならきちんと言える人たち(高木仁三郎基金では、「市民科学者」と呼んでいる。)が必要。

「市民だからいい」っていったら御幣があるかも知れないが、とにかく多様な目で見守ってゆくこと!

そして、原発くらい私達の生活(生命に)に大きな影響をもつ問題なんだったら、他の人もせめてちょっとくらいは関心をもってゆくこと・・・!

これが大事だと思う。



●やみくもに原発に反対すればいいものではない、とは思っている。

(危険だから排除、なんていったら、極端に言えば火もそうだし。使い方を誤ったら火事になるって理由で排除したら料理もできない。)

原発の危険性のみならず、それにによって恩恵を受けていた部分もきちんと見据えた上で、

私達のライフスタイルを見直し、我々の望む社会を真剣に議論すること。


(原発の危険性を受け入れた上で今までの豊かさを享受するの?それとも原発をやめて今までとは違ったライフスタイルを目指すの?ということ。)

これが大事だと思っています。


**********

さらに言えば、

今回の原発事故を一時のものにしないで、

「持続的に」自分達で自分達の望む社会を議論してゆくき、さらに今回の件で言えば、それに見合ったエネルギー利用のあり方を考えてゆくことが、大事。


そうやって、問いかけ続けるのが、私(たち)の役目だと思っている。


今、私は秘かに燃えています。
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