俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


メモ:社会的企業研究会と欧州財政危機
最近のことメモ(111223)
「m」って書いてあるのは、私の感想や思いつきです。
その部分は特に間違いいっぱいあると思いますので信用しないでください(苦笑)
他のところも私の勘違いいっぱいあると…(以下略)

■社会的企業研究会に出席
講師:(社)農協共済総合研究所 調査研究部 濱田健司さん

・農業と障害者就労の新しい可能性について。
・研究員でもあり様々な実践をされている方の報告。
・ここで言っている障害者は、知的障害者、精神障害者、のことかな。

・農の「福祉力」に着目!…「つくる」「食べる」「その場にいる」
(農業、ではなく、農。つまり産業という意味だけでなく自然と共に作業をして収穫を得るという作業そのもの)
・「作業所」での事務的な作業ではなく、自然と相対する作業…癒しの効果もあり。
・健常者と一緒に作業をしていると、障害者自身も色々と挑戦したくなる…想像以上に働けるようになる(可能性を狭めているのは実は健常者かも)
・障害者だけでなく、高齢者、元受刑者などもありえる。

・ある都内の農園…「体験農園」として、レジャーを農園に取り入れる先駆的取り組み。(m:うまいなぁ!)障害者の「社会復帰訓練」の協力事業所

【課題、懸念】
・せっかく作ってもマーケットがない。…貪欲にマーケットを広げてゆく姿勢。そして協同組合間協働ももっと進めていかないと。

(※協同組合間協働:例えば、農協でつくった野菜を生協が買い取って販売するなど、様々な協同組合(ないしは協同組合を理念を共有するものも含まれる?)間で、連携をしてゆくこと。市民連帯の経済を広める動きと言えると思う)

・障害者による労働が安く買いたたかれることがないようにしないと…

・誰が取り組む?…農業の人が福祉の世界に足を踏み入れるか、福祉の人が農業の世界にはいってみるか


【実はやってる、企業の障害者雇用】
・ディズニーランドの入口のところ?の花壇の3分の1は、障害者が手入れをしている。(ディズニーランドの子会社がやっている)
・テルペ
・野菜ランド立山

【理論的構想】
・価値論で、「交換価値」「使用価値」の他に「使命価値」があってもよいのではないか?(Give and Give、等価交換ではない、世代・地域を超える)

・「障害者…資本主義経済によって疎外された人間を、本来の人間の姿に取りもどす為に、彼らはやってきたのではないか」…実際に精神障害者は増えている。

(m:同感。関わってるとめんどくさいと思うこともあるけれど(笑)、それだけ自分の日常が限られた人びとの限られた常識の中で動いているのだと再認識させられる。「めんどくさい」感情は、自分の普段の常識・時間間隔とは違う行動を共にする時に出てくる。例えば、仕事中には話しかけないなど。この「めんどくさい」感情を、あまり抑圧し過ぎると自分がつぶれるので、そこそこの距離でコミュニケーションをとりつつ自分の生きやすい状態を考えてゆく作業が、心地よい。)


【その他】
・「食」ワーカーズの小冊子をこの場で購入した。帰りの電車で熟読。おいしそう…!!派手な写真でおいしそうっていうのじゃなくて、素朴な味とゆったりとしたコミュニケーションの空間が想像できて、おいしそうだなぁって。



■こんな研究会に出た後にダッシュで大学に戻り、授業。
話の中で、今回の欧州をはじめ先進国の財政危機の特異性について触れる。聞いたことメモ。
…上記研究会の話をギャップがありすぎて、とても印象的だったんで。。。

・今まで「不況」はあったけど、今回ほどの「財政危機」はない。(m:つまり今まではマーケットの混乱・不調だったけど、今回のは国自体が危ない。)
・途上国で財政危機になる分には、まだ世界経済への影響少ないが、今回は先進国。
一国の財政がつぶれたら、そこにお金を貸している国や銀行も沢山あるのだから、世界中に影響が及ぼされる。恐ろしい。


m:この状況を踏まえて、どうするか。
非営利・協同セクターは、社会的経済は、この状況の中で何ができるのか、どうしたらよいのか。
……上記の研究会の話と相俟って、「うーーーーーん」と真剣に考えてしまった。
既に実践は始まっている。これを地道に育ててゆくしかない。その為の制度づくりも必要だし、ネットワーキングなど裏方整備とか、お手伝いできればと思う。(私が今、直接できる事は、議事録づくりとかそんなことですけど!)
一方で、根本的に経済システムそのものを考え直す時に、社会的経済が具体的に何かを示せるようにとの意識も持ち続けてゆきたい。何らかの形で、多くの人が持っている「経済の常識」を、じんわりじんわり変えていって人間的にすることはできないのか。(というか、してゆきたいのだけれど。)


m:経済学が、財政学から独立分離しているのは、よくないのではないか?
経済学の想定する「市場」が、様々な意味で「国家」の存在によって保たれている以上、その国家の存在について・国家をいかに存続させるかについての考察も、経済学で検討すべき(もしくは他の学問と連携すべき)だったのではないか?(財政学って、学部の時ちょっと勉強した程度なので間違っている可能性大だけど、「国民感情」等も考慮に入っていた気がする。「例えばいきなり税金あげたらみんな怒るよね、世代間で負担を平等にしないといけないよね」といった事が前提として、議論されていた気がする。)

m:ふと改めて思ったけど、働いた分あたりまえに一定程度の対価がもらえるというのは、実はすごいことだ。国の色々な制度が成り立つというのもすごいことだ。
普通に働いて、一定程度の対価を得て、ある程度税金や社会保険料で取られるもののいくらか手元に残る。
私の周りでは「社会保険料高すぎる!」という不満はあるものの、まぁまぁ暴動が起きない程度に、ある程度は手元に残っている人がほとんど。
不満はありつつも、結局国の存在を認め、なんだかんだ信頼しているのではないか。
(それとも、不満をなかなか出せない国民性ゆえ、不満が見えてこないのか…)

税金だって、「まさか国はいきなり2倍にしないだろう」「まさか前の世代はのんのんと暮らしているのに自分の世代だけ無茶苦茶に税金科せられることはないだろう」という想定があるから、成り立っている。
でも国の赤字状況から見たら、いきなり2倍!だってありえるのだ。
(前の人達がこのような暮らしだったのだから、自分達もそうなるだろうし、そうであってほしいと望む…習慣的行動が人間の中にはある)

通貨も、「多くの人がその通貨を使っていて、それを渡せば商品が手に入る」という信頼が国民に共通してあるから成り立つ。
この信頼の根源は何か?今のところ多くの先進国では、「国家」だろう。
日本では多くの人が「自明」としている国家の存在、今更だけど考え直してみないとなぁ。


m:ところでさっき、「不満をなかなか出せない国民性」(つまり国に不満があってもデモとかなかなか起さない)というのは、単に「つつましやか」(?)という意味じゃなくて、
他に困っている人を切り捨てているという、ひどいことを一方でしているのではないか。

「本当に」困っている人は、声も出せないです。
だから、「困りつつも、なんとか友達と愚痴りながらも我慢して頑張っています」くらいの人が、しっかり声をあげないといけないのに。
スポンサーサイト





管理者にだけ表示を許可する





TRACK BACK
TB*URL





Copyright © 俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。