俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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市長と労働組合
うーーーーん、色々終わらず、どうしましょうーという感じな最近です。


ところで橋下大阪市長の記事、気になりました。

「労働組合のずれた感覚、とことん正す」

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111228/waf11122807340004-n1.htm

組合員感覚が市民感覚とずれている、というのはごもっともなんじゃないか、と思いました。ぱっと読んで。

日本の労働組合は、自分たちの労働条件改善は主張する一方で、自分達(労働者)の責任の認識、労働者内での学び合い、労働者・生活者として社会のビジョンを描いてそれに向けて企業に意見を出してゆく、といった事はあまりしてこなかった側面がある、と授業で聞いた覚えがあります。


もちろんちゃんとやっていた労働組合もあったでしょうし、その指摘を単純に今回の件につなげるのがどうなのか、わかりませんが。


でも労働組合の感覚を「市長」が直すって、どういうことなんでしょうか?


まず、市長を「民意の代表」ととらえるにしても、必ずしも労働組合が民意を反映していなければならない訳ではないのでは?
ずれた労働組合の意識を、市民的感覚で変えてゆく、ということなら、それはぜひやってほしい。

そして、あんまり民意民意いって強制する事には違和感。私が賛同しているのはあくまで「市民の意見を取り入れさせて世間一般の感覚を取り戻し、社会における労働組合自らの使命を再度自覚してもらう」という点。

市長は確かに、選挙で選ばれている点で民意の代表なのだけれど、ひとたび市長という地位につくと権力が発生するからなぁ。「民意」を盾に「権力」でおさえこまれるのなら、怖い。

ただ権力を持ってしてでないと現状が変わらないという現実もあるのだろう。本当は、ちょっと市長がつっついたら(つまり労働組合側が市長から「あなたたちの活動は市民感覚からしてヘンですよ」と指摘されたら)、
組合内部から自発的に自分達の組織を見直す動きが出てきてくれれば、一番自然なのだけれど。



また、「市長」を行政組織の一員として捉えた時に、組合に改善を強制するのはおかしな話になってしまう。

市長という立場は、確かに民意の代表である一方で、行政組織としては「トップの人」となるわけでしょ。
そのトップの人が労働組合の活動内容を指導する…となると、おかしいよね。

権力によって組合がつぶされる、うーん歴史上に沢山事例がありそうだ。


もっとも、このような主張に対してきちんと意見が持てる労働組合になってほしいから、組合改善にはよいきっかけになるとは思います。他人事ちっくですんませんが。


世間のニュースにますます疎くなってきているので、なんとかしないといけません。ご指摘・ご意見あればぜひください。橋下さんの動向は、私が今勉強している「民主主義」や「シチズンシップ」に大いに関わるので、色々見ていかないとなぁ。






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