俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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社会的包摂と経済のカタチづくりを。
今月の後半の号のビックイッシュー、おもろい!THE BIG ISSUE 185号、 2012.2.15、藤原紀香さんが表紙のやつ!
(や、いつも面白いけど!!)

阿部彩さんと、浜紀子さんの、社会的包摂に関する対談がむっちゃ勉強になったのでメモ!

浜さんの言う、多様性を認め包摂できる社会の本当の意義について…ここではあまり詳しく述べられてなかったけど、ビっときた&ここまで考えてなかったなぁと反省。

そして「多様性のある社会」ってつまり、いろんなニーズがある社会の事だから、経済の活性化にもとってもよい、という発想、すごくしっくりくる。


例えば、
企業は多様で競争し続けるからこそ、いいものがうまれ経済も活性化する。
もっと砕いて言えば、プロ野球はどこか1つがむっちゃ強くなって負けなしになったら、結局誰も見なくなって、プロ野球全体が衰退してしまう。

…こんなことを浜さんは述べていました。

「多様性っていいよね」と言われると、否定しにくいからこそ、「社会の多様性」が持つ意味って、あんまり真剣に考えてこられていなかったのではないか。

実際私も、多様性はないよりはあった方がいいと思ってたけど、声高に叫ぶほど共感していなかった。

そして、多様性を包摂してゆく「社会的包摂」の発想が、どうしても福祉の視点から論じられることが多くて、経済政策の中で論じられていないことにも違和感があった。

サードセクターの議論も、社会的包摂を強調する議論は主に社会学者からなされていて、一方で経済学的な理論化も多少なされているけれど、前者と後者が交わることがなかった印象。

これじゃ、北欧みたいに完全に「福祉国家でやっていきます!!」とバシッと決めてそれに向かって進んでいける国はいいけど、日本のように「福祉も大事だけど経済成長もほしいしうーん…」となんだか煮えきらなくて、明確な方向性が見えない国は動けない。

社会的包摂は、「人びとの福祉的マインドにもとづいて」「温情主義的に」やるんじゃなくって、経済的にも必要・必然なものやねん。…と私は思ってる。

このあたり掘り下げよう!具体的には例えば、社会的包摂によって活性化される新たな雇用・産業について調べてみよ。
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