俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


ゆっくり歩く。(121017)
やっと風邪なおってきた。。一週間。長引いてますな。
修論やその他もろもろ、1ミリも進んでおらず、やばい。
しかしまったくもってやる気も出ず。この1週間、超寝てました。起きて、何かしてみようかと思っても、すぐだるくなるので、そうなったら無理せず、横になってました。超幸せやった…。

めまいも結構して(月曜は用事があったので頑張って大学行ったら、歩くだけでめまいがして、歩行困難を感じた…)、以前からの症状もあるし、その他体調面で心配ごともあるし、もう体の事・頑張り方をしっかり見直さないとなーーという感じ。

あ、病院も、ちゃんと行きますよ。風邪の症状落ち着いたので、行きます。

とりあえず気になっていた自律神経について、夕方本屋さんに行って立ち読みして(←買わない(笑))、
そんで書いてあった、「ゆっくり歩く」ことから意識しようと。

雨がしとしと降ってたから、気持ちよかった~~~!!!
ちょっと暗くなりかけの時間のしとしと雨は最高です。ひんやりつめたくて、外なのに一人になれるかんじ。
鼻歌歌いながらゆっくり歩きました(笑)


「ゆっくり歩く」ことがこんなに気持ちいいとは、目から鱗でした!
むしろ最近、早足を意識してたので。忙しかったのもあるし、ダイエット効果も期待しつつ(笑)

でもせかせか歩いて目的地についても、つかれちゃって結局はかどらなかったりするんだよね。

論文は、書かねばならない。書きたい。これからは逃げちゃいけない。
でも、もっと自分の体の声に耳を傾けつつ、頑張り方を見直したい。

だいたい私は、「自分なりのやり方」がつくれない、つくれてない。「周りの人はこれくらい頑張ってるから私もこれくらいやらなきゃ!」的な思考回路でいる。未だこれだ。

しかしこれは、表面的な他人のやり方に振り回されてるだけで、本質的な生産性に目が行っていない。自分なりに出したい成果物がその頑張り方によって出せるかどうか、という点は、全く考慮されていない。

なんでこうなるのか?第一に、「自分に与えられた仕事・自分なりにやるべきだと思ってること」に自信が持てていない。周りを見て、だいたいこれくらいやってれば、世の中に申し分あるくらいにはなってるかなーーーという感じ。単なるexcuseでのこのこしている。

こういう気持ちって、普通に就職した人達は、どう感じてるのかな?こんなこと感じるヒマもなく、忙しくお仕事してるのかな?それはそれで辛い…。



第二に、上記にも重なるけど、「自分なりの仕事」を達成する為のルートを自分で描き、実践することにもまだ自信が持てていない。結局、レールに沿った受験勉強から脱却できていないのだ。

受験勉強は、塾にも行かず、一人でやってた。
でもそれは、ある程度のレールがあったから。
通信教育はやらせてもらってたし、それこそ「先輩の体験談」とかいって「一日○時間勉強してました!」とかいうのは素直に実践してたし、模試とか達成度を図る尺度は明確だったし。

まぁ、塾に行って自分の弱点を他人に分析してもらって、わざわざ自分の苦手に沿った教材まで作ってもらって自分はこなすだけ、となってた人よりかは、自分で模試を見直して弱点見つけて、自分なりに対策立ててたという点では、自分を褒めてもいいのかもしれないけど。
(というか、他人の指摘に従って頑張れる人が信じられなかった…自分なりに不足点を分析・納得した上でないと、頑張れない性質は以前から変わらない。)


ともあれ、もうそういったレールなんかないのだから、自分の頭で考えて自分で頑張り方を決めること。
レール自体も多種多様だし、個々人の置かれた状況も、多様なのだから。


頑張ることだけじゃなくて、楽しみも自分なりに入れてゆくこと。
色々やりたいことあっても、「こんなことしてる場合じゃない!(たぶん!)」と、無駄に自分を追いこんでしまうからな。

やりたいこと・楽しい事もやって、それで自分の仕事(=今は、修論書くこととか研究プロジェクトのお手伝いとか)の質が高まるなり毎日楽しくなるなりするなりゃ、やりゃぁいいのにさ。



あーーあと、自分を無駄に抑圧してるのは、「恵まれててごめんなさい」症候群だな。
ヘンに頑張りすぎちゃう要因の第三。
「自分なりのレール」を行こうとしても、ちょっと休憩でほっと一息入れようとしても、
なんとなく罪悪感を感じてしまう。


今の私があるのは自分が偶然恵まれているからであって、他の恵まれていない人の為になるようにもっと頑張らねばならないのではないか、こんな程度で自分にご褒美あげるのはもっと頑張ってる人に申し訳ないのではないか…etc.

この「なんとなくの罪悪感」については、今日立ち読みした、「頑張らなくていいよ」系の本(?)でも言及されてたなぁー。

結構、みんな感じる事なのかな。例えば、体調悪くて会社休んで、よくなってきたからちょっと気分転換にお買いもの行った時に、ふと「同僚に申し訳ない…」という気持ちがおそうとか?これで気分転換されて翌日元気になれればいいんだけどね。


ただ私は無駄にスケールがでかい(笑) 「社会に対して申し訳ない」だもんね(笑)
(それでいて身近な人には冷たかったりするんだけど…(苦笑))
まぁ、この無駄なスケールのでかさは、バカかもしれないけど私の頑張り?生き方?の原動力でもあるので、このままにしておきましょう。。


でもこの「なんとなく罪悪感」は、どうにかしたいなぁ。
このせいで、うまく自分の環境を(いい意味で)利用しつつ、淡々と頑張ることができていない。志ばかりが高くなって、結局カラ回りして、成果に結び付かない。


もう少し呑気になれればよいのかしら?無駄に色々気にしすぎなんだよねーー。
何を気にしてるのか?他人の目?


ゆったりとした雰囲気を身にまとった女性(男性もだけど)は、素敵だもんねぇ。私もそうなりたいです。


ゆったりしてると、色々と事態が好転して、うまく行ったり、周りの人にもいい影響を与えられる気がする。もちろん論文書いたり色々仕事をする上で、根詰めてやらねばならない時もあるのだけど、それとは別に、on/off切り替えていきたいなぁー。


****************
(ちなみにお恥ずかしながら今日の一日。)
今日は、朝普通に起きて→調子いいかも!治ったかな?!と思って色々作業開始してみるも→やっぱりだるくなってきて徐々にエンジン低下…→1時間くらい休憩→落ち着いてきたらもうお昼だしなんとなくおなか空いてきてお昼ご飯→なんだかやっぱりふらふら→1時間寝る→起きる→そろそろ体慣らしに外に出てなきゃなと外で勉強すべく家を出る→駅についたらぐったり→隣の駅のカフェに行くつもりが疲れて電車降りられずそのまま進行→最寄り駅から10分くらいの駅になんとか下車→なんとなく世間の華やいだ雰囲気の中歩いてみる→本屋さんへ→体調整える系の本を読んでみる(これは計画通り!…特に自立神経系やホルモンバランス系が気になったので、読む。。。)

→で、上記のとおりゆっくり歩いて帰ってきて、夕ご飯食べて、これ書いてます。

あーー明日は大学いかなきゃ。TAで待機の時間もけっこうきつい。なんでかな?意外と時間食うし、そもそも大学に行くこと自体大変だし、スケジュールを圧迫してる気がする。うまくやり過ごさねばー。
スポンサーサイト





管理者にだけ表示を許可する





TRACK BACK
TB*URL





Copyright © 俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。