俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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ごあいさつ(130102)
あけてしまったのですね、おめでとうございます(笑)
徹夜で論文書いてて年越しましたww ちなみにまだ終わってません!w
オロナミンCが手放せない。。

新年早々、来年から年賀状復活させよーって、思いました。

実はこの6、7年?、年賀状お休みしてたんです。出す意義がわからず。
昔は習慣で出してたんですが、ある時「めんどくさい」と思ってしまったんですね。

そこで、自分の心の声に従って、なんでめんどくさく思うのか、掘り下げてみましたw


つまり、
「マナーだから、習慣だから」「来たから出す」ということに違和感を感じてしまったのですね。
年賀状を通して、年に一度くらい、疎遠になってる人のことも思い出して、1人1人との出会いに感謝する、つながりをつなげてゆく、というのも正論として頭ではわかったのですが、
心からその「1人1人との出会いに感謝」してなかったんです、私自身が。

心からわかっていないくせに、習慣とか正論に流されて動く自分が、嫌だったのです。ひねくれててごめんなさい!


ちなみにお中元とかお歳暮とかもよくわかってない。大学時代サークルでやらされてたけど。
大学院来て、ある先生に「年賀状くらい出しなさい!そうやって覚えててもらうことが就職につながることもあるんだから!」と言われてからは、
ますます出したくなくなった(笑)

逆に、年賀状出しとけば「礼のある奴」と思われて、それで就職決まるのかよ!そんなんで判断されたくねーよ!!と思ってしまったのですw
(その先生は誠意で言ってくれたのだということは、受け止めましたけど。)


で、年賀状とか一般に「習慣(風習)」と言われているようなことを絶ってみて、
習慣だからと形だけ礼をつくしてるような人(更に悪くすると、そうすることによってあたかも普段から人を思いやっているかのようなフリをしようとする人)と、
普段から本当に人を思いやっていて、その延長で年賀状とかも欠かさない人の、2種類いることに気づきました。

この後者の人たちの存在に気づけたのは、最近の収穫。

私は今まで、人を思いやる・出会いに感謝することが十分にわかっていなかったので、ある日「めんどくさい」と思ってしまったのだろうし、
違和感を押し殺して習慣に流されて年賀状出して、前者のような人になるのが嫌だったのですね。


でもだんだん、わかってきた。
特にこの1,2年は、いろんな人に感謝する事ばかり。

家族にも感謝することだらけだったし、
最近会っていないような小学校・中学校時代の人ともfacebook通じてまたつながったりして、
こういう身近な人たちの存在が、私を強くして、いろんなことに挑戦する基盤になってるんだなーーと。

更に、これだけ年賀状絶ってるのに、それでも今年メールくれた人がいて、やはりうれしくて。
なんでしょ、単に「覚えててくれたんだー」ってだけのうれしさじゃなくて、やはりつながりがある事の心強さというか。

なるほど、1年に一度、何か用事があるとかじゃなく挨拶する機会(チャンス)を与えてくれる「年賀状」というツール、こりゃ大事だ!と今更ながら。

今でも、「年賀状は日本の伝統です。年に一度くらい、たまには手書きでメッセージを!」とか物知り顔で言う人は、ウゲッとなってしまうけど、
自分なりの理解がようやく完了いたしましたww


今までけっこう、ひたすら一人で頑張るだけで、頑張ってるようで狭い人間だったので
今年はもうちょっと人との関わりを楽しみながら頑張りたいなぁ、というのが今年の第二の目標。
その延長で、来年はたぶん年賀状を出します。

じゃあ今年も出せよ!って感じですがw あの、うーーん、2月以降そのうち唐突に何か送るかもしれませんw


ちなみに第一の目標はもっと自分の声に正直に挑戦する!です。
この年賀状に関する実験は、相当自分に正直であった結果ですが、

去年はいろいろ、考えすぎてしまった。あかん。
若いうちに、色々やっておかねば。頑張ります。


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