俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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金持ちさん
今日、ある人に、ちょこっと長唄の話をしたら、

「でもそういうのって金持ちがやるんでしょ」

さらに

「僕は金持ち嫌いだから」

と言われました。


・・・長唄、および古典芸能の世界を、単なる金持ちの道楽のように軽蔑されてるみたいで、とってもとっても悔しかったです。

勿論、彼がそういった本意は別のところにある気もしてますので、彼に対してだけダイレクトに怒っているのではありません。


古典芸能を金持ちの道楽と考え、嫌っている人はたくさんいるでしょう。
そしてそれは、ある一面では本当であると思います。

ですが、道楽を超えるもっと大切なものが古典芸能にはあると感じるんです。歴史を重ねてきた古典芸能の本質は、道楽なんかじゃないんです。

それを上手く言葉にできなかったのも、また悔しい。。。

(目次)
①長唄および古典芸能の本質
②彼の言う、「金持ち嫌い」の真意
③そして私は考えた
①長唄および古典芸能の本質(あくまで私の考えですが・・・)

「古典芸能」っておおきくくくっちゃって、実は長唄以外のことは(いや長唄も)よく知らないんですが・・・

とりあえず、長唄はもともと、江戸の人々の娯楽であった。
そこだけ見ると、金持ちの道楽で間違いない。

でも、金持ちの道楽のためだけに、あんなに芸が発展するわけがない。

「芸の発展」なんて、みんなピンとこないだろうし私もよくわからんけど、

長唄だったら、ホント三味線と唄だけで世界観がバーーーッと表現できちゃうわけですよ。
演劇とかミュージカルは、大道具小道具つくけど、長唄はなんもないのにね。

あと個人的に能や狂言も好きですが、
能も、扇子一本持ってからだの動き、時に身体を越えた空間までも利用して、天女のはかなげな気持ちとか、勇ましい物語とか、私たちに訴えてくるわけだし、

狂言も、あの独特の間やこっけいな動きは、相当研究され尽くして今の型があるんだと思う。



古典芸能、っていうか古典に限らず芸能は、一見して人間が生きていくのには全く関係ない。

でも、色々な気持ちを表現することをやめたら、人間は人間でなくなる気がする。
表現することを、ある形で追い求めた人が、芸能に従事する者、なんじゃないかなぁたぶん。

===================
うーんでかいこと書いちゃって自分でもよくわからないので、自分の実感レベルに落とします。

私は大学入って偶然長唄始めて、今では、唄と三味線で、愛する人が帰ってこない切ない気持ちとか、昔の物語とか表現できることに、魅力を感じています。

そして、上手く表現できたときの嬉しさと、やればやるほど見えてくる「もっと豊かに表現できるのに!」っていう悔しさで、今まで続けてきました。

また、今は学生なので、長唄の先生のご好意で、破格の値段でお稽古をつけてもらっています。


なので、普通に長唄をやるのにどれくらいお金がかかるのか、よくわからないんですが、
道楽というには、かなりストイックな姿勢で、長唄をやっています。
自分のためより、自分の演奏で気分よくなってくれたらうれしいなーって思うこともあるし。
(ってそういうのを聞きに来るのも、道楽なんかな(汗))

そしてたぶん、たくさんのお金をかけて長唄をやっている人も、道楽って言うレベルなんかじゃなく、もう自分との勝負みたいな感じで、長唄に向き合っていると思います。っていうか高みを目指すからこそ高い道具が必要になったりするわけで。(お稽古の相場が、一般庶民から見て高いのは、物議をかもすところかもですが・・・)


もちろん、お金が潤沢にあって、働かなくてもいいから長唄でもやろうか、っていう人もいるでしょうし、
そうやってるうちに長唄の世界におぼれて現実が見えなくなって、「俺はこんなに上手く唄える」となっている人がいたら、道楽かも知れませんが、


決して道楽してやっているつもりでない人も、たくさんいると思います。私を含め。


だからとりあえず、切り捨てないでほしいなー。

とはいえ古典芸能とかは料金設定が高くて、庶民を寄せ付けない感があるのも否めませんが、
それだけの芸を守るのに必要な値段設定であったりもするので。。。まぁ私も長唄やっているっていっても、学生サークルレベルなんで、そこらへんはよう知らん、ってのが本音です(笑)




②彼の言う、「金持ち嫌い」の真意
どうやら、「僕は金持ちは嫌い」とさらっと言った真意は、

「自分のことしか考えてない金持ちが多くて、そういう人は嫌い」

ってことのようです。



うん、確かにいるかも、そういう人。

長唄のプロの演奏会とか行くと(自分じゃチケット高くて買えませんが、OBとかからいただくことがあるので)、もう住む世界の違う、リッチそうなおば様たちがいっぱいいらっしゃいます。


あ、長唄のここで言うプロっていうのは、多くは「○○会」みたいなある長唄の流派の会に属して、きちんと料金をとる演奏会に出るような人のことです。趣味程度で長唄を習う人もいます。


まぁ、そういうおば様の会話とか盗み聞きしちゃうと、この着物の柄がどうとか、あの方が弾く三味線はとってもステキとか・・・。

私も勿論、ある程度そういった感想を持ちますが、

なんていうかおば様たちは、自分の豊かな生活の中から一歩も出ることなく、その範囲内でこれがいいだの悪いだの言っているように思えるときがあります。



たぶん彼はそういう人をさして、「金持ちは嫌い」と言っているのでしょう。
周りが見えていない。金があるならちょっとは寄付でもしろ、ってね。




もちろん、そういったおば様たちひとりひとりと話して、それぞれの生活の実際を見ているわけではないので、偏見丸出しですが。



・・・確かに、金持ちでも意識の高い人はいるけど、少ないのが現状でしょう。

自分レベルの豊かさの中だけで、生きている。その豊かさの下に、どれだけの犠牲があるか考えもせずに。

もっと周りをみろ!!っていうのは、私もよく思いますね。





長唄でも、金にものをいわせていい道具をそろえたりいい先生にお稽古つけてもらって、いい気になってる人は、見苦しいよなー。もっともそういう人が上手くなるとは思えませんが。



③そして私は考えた

今日話してて、実際に趣味で長唄やってる人(たぶん金持ちな人)の話をもっと聞きたくなりました。

一体どういうスタンスで、長唄に向けているのか。社会に対してどういった意識を持っているのか。


身近なところで、私のサークルのOBOGで、ずっと長唄を続けている方はたくさんいらっしゃるので、聞いてみようかな。


また、意識の低い金持ちさんには、もっと周りを見てみてくださいよ?と働きかけたらいいかも!!

甚だ迷惑であったり、私の言うこともある意味偏っているのかも知れないけど、

対話を恐れちゃいけないさ!!!


==================
また、私ちょっと長唄界に閉塞感感じてるかも知れません。



プロの長唄の演奏会、多くは素晴らしいんですが、

時に、正直「下手だなー!」と思うプロもいます。


たぶん、いろんな人が自由に長唄をやれる環境がないからかなぁ、と。

昔は長唄をやる人口が多くて、下手な人は自然に淘汰されたり、みんなそれぞれ自分の芸を工夫して高めていったのでしょうが、


今はそういった活気が、少ないのかな?


そういやこないだプロの演奏会に行ったとき、お知り合いの出演者の方に楽屋までご挨拶に伺ったら、知らない出演者さんに、「あらあら若い人!ありがとうね~!」みたいに言われたわー。

長唄に興味がある若者は、少ないよなぁ。


長唄界で生きる人々は、もちろん各方面で長唄を普及させる努力をしているようですがね。




何が言いたいって、私は路上長唄ライブをやりたいなぁってずっと思ってるって告白をしたかっただけです(笑)
私普通に洋楽とかも好きだけど(ただ英語やカタカナだと歌手の名前とか全然覚えられないから、会話にならないけど)
ながうたもねぇ、けっこうおすすめなんだよ。









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