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俗なことは嫌いと俗っぽく言ってみる
思っていることを活字にすることでなにかが変わるんじゃないかと期待を込めて書いてみたり時にただの愚痴だったりするブログ。
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【追記アリ】原発事故の責任は私達にもある
(3月18日末尾に追記あり。)

今回ほど、ツイッターやfacebookの素晴らしさを感じたことはない。

みんな不安な中で、TVや新聞も同じような情報しか流さない中で、ツイッターやfacebookを通じて多様な人の多様な声が聞ける。

中には、#prayforjapanのハッシュタグで集められているような、震災の只中で見つけた心温まる一コマや、全然メディアには出てこないけど死を覚悟で寝ないで食べないでがんばってる東電の方についての書き込みや、今現地でがんばってる自衛隊の方のつぶやきなんかも生で見れる。

すごい時代だ。
この緊急事態においてのんきな感想かもしれないが、素直にそう思う。


もちろんデマもあるようだけど、私の周りにはあまり流れていないみたい。
少なくともツイッターならその情報元を確認して、知り合いor信頼の置けそうな人(実名・実団体を公表しているとか)のしか信じないし。

デマの怖さよりも、多様な声が聞けるメリットの方が、少なくとも私の周りでは大きい。
おかげで、TVの一方的な情報に流されることなく、色々な視点で物事を考える余裕が保たれている気がする。


TV見てると、東電の人はまるで悪者扱い。
確かに今まで散々安全だっていって開発進めてきた責任もあるかもしれないけど・・・

今現場にいる人は、そりゃもう必死でがんばってるはず。
彼らにだって家族がいるのに。
祈るしかない。

************

一方で、今回の原発の件で、強く思う。

なんて今まで無自覚に電気を使える便利さを享受してきたのだろうか、と。

原発は、なんとなく危険だと感じていた。
原発と風力発電だったら、とりあえず風力発電に賛成の票を入れていた。


でも、真剣さが全然足りなかった。

東京の電気が、福島の人の危険の下に成り立っているってことも、知らなかった。


無知は、罪だ。


もっときちんと原発の怖さを知って、真剣に反対運動に参加してくればよかった。

風力発電にも問題はあるようだし、ただちに原発反対にまわるのはそれはそれで都合がいいといわれるかもしれないが・・・
とにかく真剣に議論に参加しなかったことが悔やまれる。



ここまで読んで、「たかが一個人が運動したところで何が変わるんだ」と思った人がいたら、ちょっと待って欲しい。


1人が動くことの力は大きいんだぞ。
1人が集まって、たくさんになって、世論になって、社会が動くんだ。


世論は知らぬ間に一部の人によって作られて、多くの人はそれにただ流される。


でも流されて、なんとなく社会を作るんじゃなくて、もっと1人1人が真剣に考えてゆければ。
私達の望む未来を。


なんだか大風呂敷を広げてしまった。
けど私は真剣にそう思っている。

今回の原発の事故、こうなってしまった以上、現場で踏ん張る方のために祈ることしかできないけど、

こうなってしまった責任は私達1人1人にもあるんだって、しっかり自覚しないといけない。


今回の責任は、政府や東電だけにあるんじゃない。
それらの原発推進を食い止めるのに参加しなかった、市民1人1人にもある。


多くの市民1人1人が無意識のうちに、今回の原発事故に加担していたんだ。

(だからテレビも報道陣も、しつこく東電や政府を責めることに時間を費やさないで欲しい。それも多少必要かも知れないが、一部の人に責任を擦り付けるのは本質ではない。※もちろん「今」の対応のまずさ(正確な情報をきちんと出さないなど・・・もしかしたら本当にわかっていないのかも知れないが・・・)を改善させるための建設的批判なら歓迎だ。)

*****************

自然災害は、正直最終的にはどうしようもない。
できる限りの備えをして、あとは天命を待つしかない。


でも原発の事故は防げたのに。

事故のせいで、命の危険にさらされている現場の方、不安におびえる付近の方のことを想うと、胸が苦しい。

もちろん私も怖い。このまま自体が悪化したらと思うと。。


こういう事態になってしまったことが悔しくてどうしようもない。

********************

また今回の事故で、民の力をひしひしと感じた。

東大のえらい先生とかより、市民の立場でずっと原発問題に取り組んできた「認定NPO法人 原子力資料情報室」(http://cnic.jp/)や、環境系のNGO活動にも深く関わってきた田中優さん(http://tanakayu.blogspot.com/)からの情報の方が、よっぽど信憑性もあるし、これから実際に使えると思う。


だいたいTVが「専門家だー」って騒ぐような権威のある先生が、今までの原発を推進してきたんちゃうか?

そいつらのいう安全神話が崩れたんだから、ちょっと謙虚にしといてもらえます?


変に情報を隠蔽したり、今は大丈夫とかいってじゃあちょっと後はどうなんねん最悪の事態を想定して行動するのが危機管理やろうがーってっつっこみたくなる人たち、科学的に実証できないからとか言って、チェルノブイリの被害とおそらく(一般市民の目で見れば明らかに)考えられる人たちを無視するような人たちよりも、



民の立場で、本当に民のために今まで活動してきた人たちのが頼もしい。

どっかの権威に守られた研究機関に頼るのではなく、複数の立場からの研究を進めることの重要性をひしひしと感じる。


とりあえず落ち着いたら、民による民のための研究に助成をしている「高木仁三郎基金」に寄付しようかな・・・。



てかまず前提として日常にもどれないといけないんだが・・・。
ひとまず今現場にいる人を応援する!!!!!!どうか頑張って!!!!!私も今できる範囲で頑張りますけぇ!!!


(3月18日追記)

ちょっと言葉が足りない部分がある気がしたので追記。

●東電の管理の悪さを批判する記事なども出ている。

それを読むと、「やっぱり東電が悪かったんじゃん~!」と思ってしまいがちだが、ちょっと待てほしい。

その管理の悪さを監視できなかったのは、私達だ。

普通、デパートなどで手に取る商品だったら、不良品があれば私達消費者はクレームを出す。
そうすることで、品質を管理している。


だが今回の場合、私達は「電力」という商品をあまりに無自覚に消費していた。

(※似たような例では、安いコーヒーなど・・・途上国の人がやっすい労働力で働いているおかげで、日本で安くコーヒーが飲めたり。それへのオルタナティブとして、フェアトレードコーヒーなどが流行って、結構定着してきた。きちんと途上国の生産者に正当な賃金を確保した上で販売しているやつ。話はちょっとそれるが、日本では「消費者教育」がきちんとなされていないから、何か商品を消費する時、商品のその先に何があるのかを考える想像力が不足しているとおもう・・・この「商品のその先への想像力」をきちんと植えつけるのが、協働組合の1つのテーマであったりするんだが、これはまた今度。)


そりゃあ、なんでもかんでも(ガス会社も水道会社も・・・etc)完全に監視するのは疲れるし、専門性も高いから限界ががある。

そこで活躍するのが、市民による研究グループ(研究機関)だと思う。

市民の立場で、研究し、問題があるようならきちんと言える人たち(高木仁三郎基金では、「市民科学者」と呼んでいる。)が必要。

「市民だからいい」っていったら御幣があるかも知れないが、とにかく多様な目で見守ってゆくこと!

そして、原発くらい私達の生活(生命に)に大きな影響をもつ問題なんだったら、他の人もせめてちょっとくらいは関心をもってゆくこと・・・!

これが大事だと思う。



●やみくもに原発に反対すればいいものではない、とは思っている。

(危険だから排除、なんていったら、極端に言えば火もそうだし。使い方を誤ったら火事になるって理由で排除したら料理もできない。)

原発の危険性のみならず、それにによって恩恵を受けていた部分もきちんと見据えた上で、

私達のライフスタイルを見直し、我々の望む社会を真剣に議論すること。


(原発の危険性を受け入れた上で今までの豊かさを享受するの?それとも原発をやめて今までとは違ったライフスタイルを目指すの?ということ。)

これが大事だと思っています。


**********

さらに言えば、

今回の原発事故を一時のものにしないで、

「持続的に」自分達で自分達の望む社会を議論してゆくき、さらに今回の件で言えば、それに見合ったエネルギー利用のあり方を考えてゆくことが、大事。


そうやって、問いかけ続けるのが、私(たち)の役目だと思っている。


今、私は秘かに燃えています。


きょうどうくみあいについて勉強中
もうっ・・・
勉強不足過ぎて自分に腹が立つ・・・

協同組合について勉強中です。
大学院での指導教員は協同組合などがご専門なので、さすがにもうちょっと基礎を知らないと話についてゆけん・・・


私が浸かっているNPO・市民活動は、「市民の自発性」が強調される。資金関連の議論も盛んだがあくまで自発的な活動を支えるための経営。

でも協同組合関連の話は、人間らしい生き方や経済の側面から論じられる事が多いように感じる。

切り口が違うから、なかなかすっと入っていけない。後者の切り口が、まだ自分に馴染んでいない、実感がない。

きっと切り口が違うだけで、目指す社会や理念はかなり共通するものがあるんだろうけど、まだ見えてこない。


そして協同組合関連の話題は、なんだかトーンが固い。やはり「人間らしい労働」とか「連帯」とかなんとかいっても、「生活」を成り立たせるためであるというのが背景にあるから、NPO・市民活動よりシビアな雰囲気。

よって、NPO関連なら学生でもとっつきやすいセミナーがわんさと開催されているが(あ、東京ならね。地方だとこれもなくって大変そうだけど…)、協同組合関連の勉強会やセミナーはなんだか小難しい。実際に協同組合に関わっている幹部の方向けとかになってしまう。私もがんばって足を踏み入れようとしてみるけど難しい!


なんなんだろーこの雰囲気の違い。なんだか違和感。
もっと両者がお互い手をむすぶ事はできないのだろうか?


ひとまず小難しいとか言いつつも、めげずに明日(もう今日だった!)はこれに行きます。
>==============================
> 協同金融研究会 第100回定例研究会記念シンポジウム 
> 「協同組織金融機関への期待と国際協同組合年
> ~協同組織金融機関はどう特性を発揮するか?~」
> ==============================
> 2012国際協同組合年を控え、協同組織金融機関がいかに特性を発揮
> し、社会の期待にこたえるか、議論を深めたいと思います。>

※詳細はブログ記事末尾に載せました。



でも今はもっと「協同労働の協同組合」とかの現場を見に行きたい。行かなきゃ!

例えば有名どころならココとか?
深谷とうふ工房
http://park11.wakwak.com/~toufukoubou/


他どこがいいのかわからない。誰か教えてください。


おススメ
「協同労働の協同組合」の法制化を目指す市民会議の方々の活動ブログ。やっぱりこういうブログは臨場感があってよい。具体的な事例も豊富なのでイメージしやすい。
http://blog.canpan.info/kyoudouroudou/

上記のほんとのHPはこちら
http://associated-work.jp/


※協同労働の協同組合について…
(理解がどこまで正しいかわかりませんが、ざっくりと私の知る範囲で書くと…)

みんなで出資して、みんなが経営者。なので働き方も経営方針もみんなで決めるっていう働き方を「協同労働」って言います。その働き方で成り立っている組織が「協同労働の協同組合」。
ブログに書いた「深谷おとうふ工房」は、まさにその方法で経営されているおとうふ屋さん。

この働き方、日本以外ではけっこう広まっている。日本でも実は結構な規模になっている。

でも日本では、こういう働き方・経営手法をそる組織にぴったりの法人格がないんだって。

今はNPOは「特定非営利活動法人」っていう法人格をもって活動できるけど、かつてはなかったから任意団体で活動するか、頑張って資金面を整えて社会福祉法人や公益社団法人をとるかしないといけなかったのと同じ状況。

だから今、「協同労働の協同組合」にぴったりの法人各が認められるように、法整備をしようと頑張っているところ。そうやって頑張っている方々が、前述した「市民会議」の方々です。



うんにゃぁ。まとめて発信するほどじゃないけど誰かに聞いてほしい/詳しい人がいたら教えてほしいってノリの、中途半端な記事でごめんなさい。。

なんだかなぁ。。つきぬめてないなぁ。。


(以下、明日(もう今日だった!)のシンポ詳細)
つづきを表示


環境NGOでボラした
今日は環境NGOである、FoEジャパンという団体に、冊子発送のお手伝いボランティア行ってきました!!!


インターンとして仕事をしたり、自分のやっている団体の仕事をしたりはあるけど、

事務所でのボランティアっぽいボランティアはこれが初めてだった・・・!


結論。思った以上に得たものがあった!


環境系、実はあんまり興味なかったんです。

でも今回は誘われるがまま、ちょうど時間あったし行ってみて。。。
(1月始めにあった、NPO/NGOボウリング大会で同じレーンだった方がこの団体の方で、そのご縁でお誘いいただいたのです笑)

地球環境に起きている事を、作業しながらゆるゆると聞いたりしていると、やっぱりリアルに感じられるなぁ・・


どうしても、環境問題なんていっても自分には遠い話…に思えてしまっていましたが、

今日話しながら、環境問題には自分の専門である経済も、人権も政治も色々絡んでいるのだと再認識。

特に市場経済の過熱で、途上国のプランテーションが起きたり…と、あぁここにも経済の問題がつきまとっているのかと…。


恐らく情報として、「先進国が安く商品をつくる為に、植民地に単一の商品作物をつくらせている」ということは知っていたはずなんだけど、今日やっと具体的につかめたというか、身近に感じた。



新鮮だった!!!!


あと、よく環境系のNPOが「エコキャンペーン」とかやっているのを見ても、実は「ふーーん」くらいにしか関心が持てていなかった。わ~っと盛り上がる雰囲気が苦手だったし、そういうのをやって何になるのか、実はよくわからなかった。

でも、こういうちょっとしたキャンペーンの積み重ねで、私たちの意識は形成されてゆくのだろうなーとようやく実感が持ててきた。


というのも、この団体が行っている、ペットボトルのお水を買って飲むのではなく、マイボトルをもって水道水を飲もう!という「水DO!」プロジェクトという話をしていて、思ったのです。

よく考えたら、今でこそマイボトルって普及して、マイボトル持っている人かかっこいいというイメージすらありますが、
恐らくちょっと前までは、逆に500mlのペットボトルを買って飲むのがスマートという感覚だったなぁと思って。(これ私だけの感覚かなぁ?でも500mlペットボトルを持ち運ぶ為のケースやホルダー等のグッズが一時期盛んにでなかったっけ?)

私は以前から、単純にお金がもったいないから飲み物持参派だったけど、みんながスマートにペットボトルのお茶を飲む中でおもむろに水筒を取り出して飲むのはちょっと勇気がいった…。(周り気にしすぎって面もあるが)

でも今は、意識変わってきてるもんなぁ。直接口をつけて飲むタイプの水筒?タンブラー?等の登場も大きかったけど、地道な活動でちょっとずつちょっとずつ変わっていっているのかなぁと。そう考えたら、一見その場だけのわ~っと盛り上がるようなキャンペーンでも、継続してやることで徐々にみんなの意識がかわってゆくんだろうなーと。

何事も、叫んでみなくちゃ変わらんねぇ。
最近は調査とか研究方面に注力しがちで、それはそれでいいと思うけど、実際に社会を変えてゆくためのアクションから離れていたなぁと、反省!



ってか純粋に、他のボランティアやインターンの方と話せたのも楽しかったし!!


今まで、NPOなどの世界に入ってからわりと早い段階である団体の運営スタッフやらインターンやらになってしまって、どこかその団体を背負っているというか、ボランティアさんやイベントの参加者をもてなす側にいることが多かったので、

一ボランティアとして、ちょっと気楽におしゃべりしつつ作業するの、初めてだったかも。社会貢献どうこうとか仕事の効率がどうとかでなく、こういう時間、楽しいね~。




ついでに、あるボランティアさんの意見
「途上国で起きている環境問題には、実は先進国のせいだったりするけど、日本は国民的に、そしてもちろん政策的にも関心が低い。
その点ヨーロッパは、植民地との歴史的関わりが強いから、その分イメージがついて国民が意識を持っているのではないか…」

という話には、そういう考え方もあるのかーと感心。もちろん日本とヨーロッパの国民意識のことは、様々な説明がなされるのだろうけど、この考え方は初めてふれたなー。



あと、あんまり日本のNPOの現状わからないんですーという方に、NPOとNGOの違いとか、今のNPOが抱える問題とか、寄付意識の事についてとか、さりげなく解説している自分に出会えた(笑)そして「なるほどー」とか言ってもらえて自己満足した!

うわー私、こんなに語れたんだー!

いつの間にやら、世間一般の方よりはだいぶ知識がついてきたようです(これだけやっていて知識ゼロだったら問題ですが…)

でもちょっと人より語れるようになったからこそ、テキトーなこと言えないなぁと背筋が伸びた。

もっともっと勉強せねば!!


いやあ、楽しかった。元小学校の一室を借りた事務所だったので、広々していて気持ちよかったし。
あと、作業が早く終わったので、スタッフさんのお土産&売り物のコーヒー豆を挽きつつ、スタッフの方とゆっくりお話できたし。手でまわして豆を挽いたの初めてでした笑


ピクニック等の気軽なイベントや、簡単なアンケートへの協力もあるようだし、また行ってみよっと!


なお今回はあずまや(主催しているNPOに関する勉強会)のメンバーと行ったので、近日中にあすまやブログに今日の様子がアップされるはずです~

************

ちなみに昨夜は、a-conというNPOのコミュニケーション促進を支援するような団体と、日本財団の学生ボランティアセンターgakvoの方たちとの懇親会に行ってまいりました!

これまた、楽しかったんだよね。

また、色々考えさせられることもあったし、背筋が伸びた。

詳細は、あずまやブログにも書きますし、後でこの個人ブログにも書くかもしれません。もうちょっとしっかり振り返りたいので。



とりあえず、明日のテスト勉強に戻ります!!!

完全に気が抜けて気合入らず、ブログ書いている時点でダメダメなんですが…
なんだろこのフワフワ感。恋かな?笑 恋したいなぁ!

とりあえずもうちょっとだけがんばるー笑


自己責任論について
結局、自己責任と社会的要因なんて、分けることできないよなーと思った。

会社入ってつぶれてホームレスになったら、社会的要因といえるかもしれないし、そもそもそんなつぶれそうな会社を選んだ自分が悪いということもできる。こじつければいくらでも。

毎日酒を飲んで怠けているように見える人も、そういう人なんだから貧乏でしょうがないとすることもできれば、さらに掘り下げて、家庭環境が悪くってそういう生き方しか選択できなかったんだから社会的要因だ、とすることもできる。


ポイントはある個人の状態が自己責任か社会的要因かではなくって、どんな社会を私たちが望むかだろうな。



っていう覚えがきでした。


そこそこの働きかたについてその2
前の記事(そこそこの働き方について考える)にいただいたコメントに返事書いたんですが、なぜか投稿できなかった・・・(禁止ワードが含まれている?)ので、本文に記載。奥くん、こんなとこにさらしてごめん・・・


(以下)

>奥くん

コメントありがとう!

まず、お互い「そこそこ」が何をさしているのかイメージがずれているようなので、その誤解を解くことから。
そこそこの暮らしって、そこまで食うや食わずのところはイメージしていません。


たぶん奥くんと、使っている言葉は違うけど、所詮求めている生活のレベルはそんなに違わないと思う。
一食の食費に1万かけられるようになるまで頑張り続けるか、一食500円レベルで満足として働く量を調整し、その分他のところで楽しみを見出すか、の違いくらい。


ってか最低限の暮らしとは言っていないな。「私の望むそこそこの生活の為に必要な、必要なだけの稼ぎ」をしたいのだって言えば明確かな。人生の中心に生活があって、仕事はそれにあわせて考えたい、的な。
「ちょっと畑やりつつお茶屋さんやりたい・・・」というのは本当に「理想」であって、実際考えればどれだけ厳しいか、自給自足なんて自然相手で大変なことなんだ、というのは想像できます。



ブログで書いた点で重要なのは、たとえ私が「そこそこ」の生活を志向して、このくらいでいいかな~と働く量を調整したくっても、競争相手(隣にできた新しいお茶屋さんの例)がいる以上競争は発生してしまうということ。これは現実。


こう考えてゆけば、私が教授になったとして・・・の問い、寝る間も惜しんで頑張る後輩を選ぶでしょうね。(頑張った量が教員としての資質に比例すると仮定すればですが。)だって、教員になりたいという目的の下で競争しているのだから、限られたポストの手前勝ち負けが出てしまうのは仕方ないです。私も、そこそこの生活を志向してはいますが、それを手に入れる前にやりたいことがあるから教員になりたいと思っているので、その為には努力するでしょう。


私が指摘したいのは、日本社会全体としてほとんどの人が(たとえそこそこ生きたいだけの人も)、競争が過熱している中でめちゃくちゃに働かねばならないという風潮。知らぬ間に市場経済が拡大して競争に飲み込まれている事態に無自覚な人が多いということ。また、過熱した競争の見えない部分には、非正規労働者など不当に搾取されている人もいるということ。(もちろん「そこそこ生きる」といったって要所要所で競争があるのは仕方がないですが、全体の風潮として)



現代社会が、ゴミをあさって生きてゆけるくらいまである程度豊になったのなら、その豊かさをそれこそ途上国の人の分けてあげればいいのにと思う。
必死に頑張らねば餓死してしまう、自然的なサバイバル状態から日本が既に脱しているとするなら、今の状態は人工的なサバイバル状態。十分豊かなのに休むことを知らず、無理やりにでもニーズを創出してゆく感じ。そんなのいつまで続けるの?ちょっと立ち止まって、別のところにエネルギー使えばいいじゃん、と思う。

そんな、転落に備えてひたすら働くという道は、本当に奥くんの希望ですか?キリないし、どんなに蓄えていてもいつ誰がどんな形で転落するかはわからないのに。



個人的には、日本全体でもう少し労働時間が減ればいいとは思っていますが、これはまた別の機会に。(理由は色々ありますが、もう十分豊かな経済環境なんだから、ちょっと休んだ方が人々の精神衛生状態も良くなり、医療保険費なども削減され、環境にもよく、余暇でそれこそ本当に困っている人の為にボランティアをしたりできるのに・・・的な理由。労働時間減っても今の経済水準はそんなに変らないというデータもあるようだし。)



> 関係ないけど、自分の貧しさを誰かのせいにしてるような貧乏人は、どんな経済システムでも貧乏人になるんじゃねぇかと思うんですよね。

誰かのせいにするって、具体的にどんな感じなん?まぁ、どんな集団でも人が集ると、頑張るのは2割で、あと6割は言われたら動く人で、残り2割は怠ける・・・みたいに言うから(割合は記憶あいまい)、社会の中で一定割合はそういう人が出るのはわからんでもないんだが。

ただ、貧乏人(というか貧困者)は現在増えていて、その内実も多種多様になっているようだから、ここ話し出すと長くなります。ひとまずあまり自分のイメージで決め付けず色々な面からみないといけない。私もよくわかっていないので、そういう人が集る施設でバイトしようとしてるんだけど。確実に、自分ではどうにもできない事由で貧困に転落している人がいる。

また私としては、どんな貧乏人でも放置しておいて気持ちのよいもんじゃない。感覚として、自分だけ幸せなるってことに違和感がある。

「全ての人間には人権があって・・・」みたいな話は奥くん嫌いそうだからしないけど(笑)、ちょっとサポートすれば社会全体の人がまるくおさまるんだったら、自分の生活がそこそこ安定してるんだから、サポートしたいなーって思う。何言ってもどうしようもない人もいるかもしんないけど、その人にばかりフォーカスしていても何も解決しないし、本質的にどうしようもないヤツなんてわからんし。

例えば奥くんが演奏会本番に三味線のバチを忘れてきたら、それは自己責任、演奏できなくてもしょうがないと切り捨てることもできる。でも私は、私のバチを貸してあげる。ちょっと気づかって譲るだけで奥くんも他のメンバーも気持ちよくなれるんなら、そっちのがいいじゃんと思うから。


他に、あまりに奥くんが怠け者で周りに迷惑かける存在だったら、もしかしたら排除されてしかるべきかもしれない。でもface to faceの関係が築けている仲だからそう簡単に排除はしません。君遅刻しなかったことないけど受け入れているじゃん(笑)(今ホームレスになっているような人の中には、こういったface to faceの関係がたまたまなくって路上にまで転落してしまった人も多くいる。)


ついでに書きますが、富める人も、もしかしたら自分がいく人もの貧者を踏み台にしてその冨を手に入れているのかもしれないのに、無自覚だよね。

奥くんはこんなのしないと思うけど、実際貧困ビジネスってあるし。おおっぴらにも、「コスト削減」して利益を出すために、過酷な労働条件で1日10何時間も働かされて過労死に追い込まれるような人もいる。そういう悪い条件の仕事につくのも自己責任というかもしれないけど、確実にそういった条件の仕事は不当に増えている(=そういった条件の仕事を増やしてまで競争している企業がある。競争にも質ってもんがあるのに。)し、また自分に付加価値をつけて、高付加価値な生産に従事して高い給料をもらえるというのは、本人の努力もあるけど、社会・家庭環境の影響大。なのに恵まれた人ほど、自分の恵まれた環境に無自覚だったりする。(逆に、貧乏の理由を全て環境のせいにするのか?とまた言われそうですが)



うーん、だーっと書いてしまったのでわけわかんなくなっていますが、また気になったところあったらコメントください!




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